「その両側を墓に守られ、海辺から広場まで続く10メーターも幅のある道を通ってやってきたのは人間ではない」と言ったのは東北学をなす赤坂憲雄先生でしたが、三内丸山遺跡で行われた祭りは、この世の生を騒ぎ祝うよりも 黄泉の地平に向けられた静かに荘厳なものであったかもしれません。
被災地の瓦礫の中で 行方不明の父親を探しながら一人和太鼓を叩いていた人の姿をニュースで見ました。そこだけが変わらずにある青い空と水平線を、ゆっくりと飛ぶ海鳥だけが その「たった一人の祭り」の光景を見ていました。
去年の夏には、ねぶたのように光源を入れて輝く大きな山車を何台も何台も、荒涼とした瓦礫の山を縫うように 子ども達が引いて練り歩く祭りの風景を、私はやはりテレビで見ました。
空撮で撮られたその映像は、静まりかえった海辺の廃墟に夕闇が迫る頃、内から光を放つ壮絶に美しいものが粛々と引かれていく幻のような夢のような、恐ろしいほどに凄みのある光景でした。
東北地方に残されている祭りの魂が、音も無く引かれていくのだなと思いました。どんどんと腹に響く和太鼓を ひとり叩いた人は 一年経った今でも夢を見ているようだと言いました。その人も瓦礫の中をひとり大きな太鼓を引いて歩いていたのでした。
大勢の祭り、たった一人の祭り、賑やかな祭り、静寂の祭り。古代から現代まで なんとか生き延びてきたと思っていた伝統の行為は 本当は、傷ついた人間が生きていくうえで 無くてはならないものだったのだなと心底思いました。
それは一度見たら忘れることのできない光景というよりも、全ての日本人が思い出すことのできる、脳の古層の記憶に結びついた風景でもあるのでしょうか。ハレの営みとは 騒ぎ祝うことばかりではないのですね。
なぜ祭りをするのか。何を畏れ何を治め 何を願い何を祈るために人は祭りをしてきたのか。荒涼として静まり返った地平線を超えて 私たちが忘れ果てていたハレの行為に脈打つ人々の思いが 声なく私たちに問いかけている気がしました。

(季刊大林 縄文 より)
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