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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第10回 「縄文時代、犬は大事な友達」 2009年1月28日

昨年の父の日、我が家に新しい家族がやって来ました。そう、イヌを飼い始めたのです。なんとも言えずかわいく、せっせと散歩に連れ出してはコミュニケーションを図っています。実は、すでに縄文時代からイヌは飼われていました。ですから一万年以上もの長い付き合いをしてきたわけです。

全国の縄文遺跡からは度々イヌの骨が出土します。愛媛県や神奈川県では縄文時代早期(約8,000年前)のイヌの骨が見つかっていますので、縄文時代の開始当初から縄文犬が飼われていたようです。県内でも三内丸山遺跡や各地の貝塚などから出土しています。

動物考古学の専門家である国立歴史民俗博物館の西本豊弘さんは、出土した骨の特徴から、縄文犬の姿を「体高は40cmほどの小型犬で、四肢が太く、短い、がっしりとしたたくましい体つきで、前頭部にくぼみのないキツネのような顔立ち」と推定しています。現在だと小型の柴犬に似ていると言えそうです。骨には骨折や骨折が自然治癒したものがあり、狩りなどで果敢に動物に立ち向かったことが考えられます。

イヌの骨の中には、まとまって出土する場合があり、明らかに埋葬されたものがあります。死ぬと墓を作り、丁寧に埋葬されているわけです。中には人間と一緒に埋葬された例もあります。縄文時代にはイヌ以外の動物には墓を作りませんでしたので、これからもイヌは縄文人にとって特別な動物であったことがわかります。仲の良い大事な友達、あるいは家族の一員と言ってもいいのかもしれません。

先日、九州国立博物館で開催した「あおもり縄文展」では、七戸町の史跡二ッ森貝塚から出土した埋葬犬の実物を展示したところ、見学者がその場で足を止めることが多く、興味関心をもったようです。この埋葬犬は縄文時代中期後半(約4,500~4,000年前)のもので、食料の貯蔵穴に埋葬されていました。おそらく、食料貯蔵穴が使われなくなった直後に、穴の底に遺骸が置かれ、土がかけられた後にさらにその上にヤマトシジミやハマグリなどの貝が棄てられたものと考えられます。体を大きく曲げ、前足と後ろ足を前方に投げ出した姿勢となっています。骨の大きさや歯の状態から生後5~6か月の幼犬で、メスの可能性が高いと考えられています。

縄文人の良き友達であったイヌですが、大陸から本格的な稲作が伝わる弥生時代には食料とされていました。それは遺跡から骨がばらばらの状態で多数見つかったり、中には解体の痕跡が残っているものもあります。縄文時代にイヌを食べる習慣はなかったようですが、稲作とともにイヌを食べる食習慣も日本列島へ伝わってきたものと考えられます。

縄文犬想像図

 

二ッ森貝塚の埋葬犬

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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