世界自然遺産白神山地が世界自然遺産に登録されたのは1993年でした。
それより20年も前に白神山地は私の大好きな山域だったのです。林道が拓かれ多くの人々が自動車で乗りいれて山菜を採り、自然の恵みに浴していた。今は閉鎖されている林道には林道開削工事や林道周辺のブナ林伐採の際に放置されたワイヤーや大型作業車のタイヤなどが散乱し、山菜採りの残したゴミが捨てられている様は目を覆うほどで心を痛めたことを思い起こしている。
この山を、ゴミに支配させていては、自分自身が自然を楽しむことが難しいと感じた仲間たちと「ゴミ拾いボランティア」を提案し、新聞紙上で参加を呼びかけてみました。何とも、回を重ねるに従って参加者の数が増加して、受け入れに困惑するほどだったのです。参加者の増加に伴いゴミの収集量も多くなりボランティアの手では処理しきれないまでになりました。
美しい自然を守ることの難しさを感じながらも、西目屋村役場や営林署、県自然保護課など行政機関が助力してくれたことは、私たちの目指す活動が認知されたことだと、心を強くしたものでした。殊に村役場はゴミの最終処分まで引き受けてくれ、営林署は休日にも係らずトラックを提供してくれ収集作業に弾みをつけてくれたものです。遠距離の場合は野営し、持ち寄った料理や酒を囲みながら、交友を深め来年もがんばろうと熱く語りあったことは、昨日のように思いだされる。
その頃の私たちには、世界自然遺産・・・そのような存在すらも無頓着であり唯々冬を迎える前に綺麗な姿で眠りについて欲しいという素朴な思いだけだった。若いということだけではなく、「この山が好きだ、ここにいると癒される」という共通の思いがあったのでしょう。そして、こんなにも多くの人たちが自然を大切にしたい!その為に何かをしなければとの思いの強さを感じたものでした。
縄文文化が姿を消したのは、縄文の人々が生活の場である森を切り開いたからだろうか。そんなことも酒の席で飛び出していたことが懐かしい。