当時の本業は高校理科教員。「俺ね、山でゴミ拾いをしているんだけど、お前たちも手伝わないか。山がきれいに変わるのは心が洗われる感じがするんだ」と呼びかけてみた。
土曜日毎に私の運転するスクールバスに乗る生徒の数が増していき、テレビ局が取材に入るようになり、地元だけではなく青森市の学校からも参加するようになり「ごみ拾いに高校生が参加」と報じられるようになり、山に入る人たちの意識に変化が見られるようになった事は、参加した生徒たちの励みになったのが収穫でした。当時は青森県だけでなく、秋田県・兵庫県・東京都・神奈川県などからも参加者があり、それらの皆さんが生徒たちをサポートし、良きアドバイザーでもあった事を忘れてはいない。
「ナ!人も自然も、眠りにつく時は心も体もきれいでいたいよな」、「今回は何種類の植物を覚えたの」生徒にかける言葉も理科教員として配慮には苦労したことをも忘れられない。「お前たちネ、こんなに心地よい体験は一生の宝だよな」、「君たちが、俺と同じ感動を感じてくれて嬉しいヨ」、「先生、どうしてこんなきれいな山にゴミを捨てるんだろうね、腹が立ちます!」。そんな彼らも今では社会人としてどこかで、自分の体験を生かして生きていることを信じたいのです。
白神山地は、林道建設反対運動は自然保護団体等の努力だけではなく、多くの清掃ボランティアの意識が反映されたのは間違いない。結果は世界自然遺産登録となったが、誰かが大声をだしたからではなく、見えない多くの人の意思の反映だったのだと回想している。当時はまだ、白神!と呼ばれ多くのお客様が来るような環境にはなく、弘前の西に位置する弘西山地と呼ばれる山塊だった。
今日の白神は、多くのお客様を受け入れ、流れる風に感動し、せせらぎの音に心を遊ばせ、風雨の激しさに自然の脅威を肌身で感じながらも詩歌のような景観を見せている。まさしく、縄文の時代の人々の自然に対する畏敬の念を共有できる大地なのです。
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