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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第12回 大量の土器 2012年5月17日

三内丸山にはじめて行ったとき、北の谷の斜面をびっしり覆った土器片に圧倒された。それは、縄文人が大量の土器を使っていたことを示すものである。これほどの量の土器はどのように作られ、使われていたのだろう。

浮かんできたのはインドで見た光景だった。納屋の穀物入れの壷、台所の煮たきに使う什器、寝室のベッドのかたわらにおいてあった大甕(おおがめ)の水はひんやりとして妙にうまかった。そこでは生活に密着した土器があった。(もう数十年前のことだが、今もそうだろうか。)

市場には、素焼き土器が所狭しと積み上げられ、屋台でお茶を飲んだあとは投げ捨て壊す、という手荒い使い方。まわりに土器片が散乱しているのは、ガンジス川のインダス文明遺跡がまるで丘のように土器片で埋まっている、そのはるか昔に通じていると思った。同じような光景はメキシコでも見た。大量の土器を使うのは文明のあかしなのかも知れない。

粘土に火をかけ変質させるためのエネルギー量は、けっこう大きい。もし、燃料に薪を使ったとすると、周辺の森は百年足らずのうちに消えてしまうという推計を(これも大量の土器を作っていた)アメリカ中西部のカホキア遺跡の報告書で読んだことがある。

ところが、野焼きの土器はそれほどの燃料を消費しない。インドでの燃料は、なんと牛糞なのだ。現在、日本の考古学遺跡で人気のある「土器焼き体験」は、燃料には廃材を使っている。それは流通・経済のグローバル化によって、輸入材があふれているからだろう。

縄文人は木材を再利用していた例からも分かるとおり、木が資源としても、環境を守るものとしても大切なことを知っていたのである。近くで採った粘土をこねて形を作り、枯れ草や小枝を燃やして手軽に土器を焼く。いま、困りはてている大震災の瓦礫(がれき)の山を見るにつけても、環境ストレスの少ない「地産地消」型の縄文時代の生活を、私たちはいま真剣に見直し、学ぶ必要があると思う。

枯れ草を使った縄文土器つくり
丹波の森公苑の縄文塾では、2002年から、枯れ草を使って縄文土器つくりを行っている。

家の前に置かれたたくさんの土器
家の前に置かれたたくさんの土器。1987年、パキスタンにて。

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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