復元画を依頼されると、私はその遺跡にできるだけ足を運ぶことにしています。「遺跡」と呼ばれる古代の村は、高速道路の予定地だったり、ダム湖に沈む運命だったりしますが、運が良ければ、谷のせせらぎや疎林の緑に目をやって、かつての村の面影を追うことができます。掘り込んだ地面が柱の穴で囲まれた「住居址」で、まだ発掘作業が進行中ならば掘り出されたばかりの土器片の土を払ったり、きれいに石を並べた炉のあとが半分現れたりしているのを目撃することもあります。
ここと思うところに腰を下ろして、私は風景をスケッチします。遺跡自体の資料はたいがい豊富にあるので、現地でスケッチするのは実のところ草木のクローズアップであったり遠景の山並みであったりします。そこにいた人々が見たり聞いたり感じたりしたかもしれない事々を見つけて描きとめようと努めます。
それらを持ち帰ると仕事机に向かい、依頼に沿ってイメージを練ります。遺跡調査室から提供された出土品の写真や、遺構の図面を参考に下絵は進行し、考古学者の監修を何度か経て徐々に「復元イメージ」にしてゆきます。
かけらの集まりであった土器は祭祀の器となったり、焦げ目のある鍋となったりします。鍋ということになれば、貝塚から出土した貝殻や骨を用いて、使い込まれて黒光りする土器のなかに魚貝と野菜の汁がグツグツと煮えている光景などを考えます。石皿が出ていれば、シカ肉をすり潰した肉団子スープなどもいいですね。
半分土に埋まっていた炉に赤々と火を燃やし、土器からたち昇るいい匂いの湯気の向こうに木杓子で汁をかき混ぜている女性を描いてみます。嬉しそうに食事の時間を待つ子供たちや、漁の成果に満足げな男たちも そこにはいたことでしょう・・・傍らで猟犬が休み、炉の上には燻製にされた川魚や獣肉などがぶら下がって炎に照らされていたかもしれません。
それが仕事であるからには違いありませんが、復元画として古代の住居を描くとき、どの家の炉にも火が煌々と燃え、それを囲む家族がいたことを思い描くうち、どうやら私は遺跡の家を描くより家族を描いているんだなと思うようになりました。
遺物となった住居址にもう一度家族という命を吹き込んで、炉に赤々と火を燃やす。小さな幸福に満ち、ときには苦悩し、怖れ、安堵し、それらを分かち合った家族がそこにもいた。人間の営みに時代はなく、進化もないらしいので、何千年の時の流れの中でも家族たちは概ね変わることなく、同じように笑いこけ、泣き伏し、活き活きと子供を育て、静かに老いていったはずです。
21世紀の始まりをここで生きた私たちの家も、姿を無くして土にかえる・・・悠久の時によって、あるいは突然の天災によって。いづれにしても暮らしを豊かに彩ったあらゆるカタチあるものはやがて喪われ、それらを心に留めていた人もいずれいなくなることに 今も昔も変わりはありません。
悲しみや喜びに沸いた家族も、千年のちの世の人には いくつかのカタチをとどめた断片から推測できるにすぎない「21世紀の人々」のほんの一部となる。だとすれば、どのような時代、どんな家に暮らしていても、人間の家族がいやというほど繰り返してきた賢明で愚かな営みを描き続けることが、実は最も心に触れる未来の人間へのメッセージになるとは言えないでしょうか?
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ