東アジア考古学会(SEAA 5)が6月6~10日まで九州大学でおこなわれた。世界各国から200人近い研究者が集まり、24セッションがおこなわれるという盛会だった。「土器を発明し世界に広げたのは、農民ではなく狩猟採集民だった」という定説に挑むセッションがあり、そのなかでわたしは、Quantifying the impact of Jomon Potteryという題で発表をした。
これまで何度かこの欄で書いたように、三内丸山遺跡の発掘でみた土器の多さに驚き、その使用燃料が環境(植生)に多大な負荷をかけたのではないかと心配になって、その量を数値で把握しようと考えたからである。準備不足もあったが、なにより考古学の学会に出るのは何年ぶりのこと、英語を話すとき舌がもつれるので困った。
国際学会は基本的に研究者の登竜門といえるだろう。欧米の若手はどんな遠い国でおこなわれても奨学金や補助金をかき集めてしゃにむに出かけていく。うまくいけば職にありつき、出版できれば昇進に結びつくからである。
考古学、とくに文字資料のない先史学は、基本的に地域密着型の学問で資料の充実が議論を豊かにする。その点、日本は旧石器と縄文時代の発掘例が多く、資料的に十分だといえるだろう。最近では中国、台湾、韓国でも発掘や地域調査例が増え、条件をみたしてきている。次にくるのが、地域性を脱して、世界規模での比較や結びつきを討論できるテーマを見つけることである。それは、今回のセッションの多くが人口、環境、国のはじまり、交易、親族組織、階層、ジェンダーや科学分析などをあつかったものが多かったことからも進歩の様子がわかる。
日本のアカデミーも、終身雇用の制度が崩れ始めているためか、発表者が多くなり、英語のプレゼンテーションもずいぶんうまくなった。「これからは、彼らの職場も日本にとどまらず世界中に広がっていくでしょうね」と、この学会の会長であり、日本考古学の国際化のパイオニアであるマギル大学名誉教授・井川史子(いがわふみこ)先生(ちなみに、わたしは次の世代にあたる)と若いころの夢と苦難を懐かしみながら語り合った。
前列中央が井川先生