「私たちは農業をやめない。作物を作り続けながら、農村と風景を観光資源にしていきたいのです・・」つたない英語で村長は一生懸命に説明しました。
「つまり私たちが目指すのはアグリツーリズムです。」パヤンガン高校生徒会長、16歳のラプティが付け足した言葉を聞いたとき 私は深く感動しました。村や家族の期待を背負って高校に通わせてもらっている自負が彼女に感じられました。
超有名ホテルやブランド店が林立するバリ島の観光地は有名ですが、その周囲に広がる農村地帯では、鶏や豚が放し飼いにされ 敷地を親戚と分け合って慎ましく暮らす人々が伝統的な島の暮らしを営んでいます。
その中のひとつ、ここパヤンガン村にあるラプティの学校は、SEOP(Sustainable Education to Overcome Poverty-貧困を乗り越えるための持続的教育)プロジェクトによって運営される主に貧困層出身の子どものための職業訓練高校です。

週刊朝日百科 縄文人の家族生活 表紙から
バリ政府の奨励で島の各地に作られた学費の安い私立高校は、決していい教育機関とは言えないものでしたが、その一つであったパヤンガン高校を、観光産業参加のための技能教育を受けられる職業訓練校へと生まれ変わらせたのは、大阪に住む私の古くからの友人夫婦です。計画段階から深く関心を持ってはいたのになかなかできなかった現地訪問が 今夏ようやく実現しました。
バリの農村での暮らしぶりを見て回ることは、縄文集落のイメージを膨らませるためにもまたとない素晴らしい体験です。芸術家村ウブドゥには毎年家族で通ったものですが、ここしばらく足が遠のいていました。今では大観光地になったウブドゥには車とバイクが溢れていましたが、バリの人々の穏やかな人柄、自然を敬う暮らしぶりは変わりません。
「今日はマデ村長に会いに行こう」私の友人が言うと、生徒会のラプティがすぐに携帯でマデ村長に連絡。驚くべきは1女子高校生ラプティが持っている村の人脈!一つには学校から研修にいくホテルやスパの従業員との繋がり、もうひとつはおそらく伝統的に深い地域コミュニティーの繋がりからか、彼女の携帯電話にはパヤンガン村のあらゆる人の連絡先が入っているようでした。携帯?・・実は途上国では固定電話より安く手に入る携帯を持つ人のほうが多いのです。
考えてみれば 縄文時代にも小さな集落コミュニティが共有していたものは 都会暮らしの私が想像できないほど濃密だったかもしれません。何世代にもわたって暮らしを分かち合ってきた集落は 全体が親戚でもあり機能的に姿を変るネットワークでもあったでしょう。
ラプティはどこに行っても知り合いがおり、人懐こくおしゃべりをして情報を収集したりばら撒いたりし、おばあさんにちょっとしたお使いを頼まれたり、見かけた子供のことを親に報告したりします。
村人たちは、農作業や血縁者とのつながり以外にも、村内の様々な集団に属する顔を持っています。
信仰の島と呼ばれるように バリの宗教行事はほぼ毎週のようにあり、女たちは近所づきあい以外にも 毎日捧げる供物を作るために集まり、行事ごとに踊られる伝統舞踏を練習し、男らは奉納するガムランを演奏する集団に属し、毎夕集まって練習します。

季刊大林 縄文 とびら絵から
ラプティも両親を通じていくつもの村の集まりに顔をだすのでしょう。その度に、同じ村人が違う立場から彼女を見守り、励ましたり叱ったりしながら様々な色で彼女の属する世界を彩っていくのではないかなと思います。
「勉強」がしっかりできるようにと社会から守られ、ある意味では隔離されてもいる日本の「高校生」に比べて、バリの小さな山村の女高生は学校と自分の家族以外にも、変化に富んだ様々な顔で関わり属している世界があるように思われました。貧しいけれど豊かに柔軟な大人たちのネットワークが 彼女の携帯電話帳に名を連ねているようにも思えます。
日本でも村祭りがあったころには、学校では精彩を欠いても祭りではヒーローの顔を持つ友達がいたものです。いじめ事件に漂う抜き差しならない閉塞感を思うとき、会社、学校と分断され様々な顔が見えなくなった家族や、祭りを行うことができなくなった顔のない集落をふと思います。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ