戦後はじめての国定歴史教科書『くにのあゆみ』は1946年に編纂(へんさん)がおわり、翌年には配布された。GHQ(連合国最高司令官総司令部)の命令で、従来の皇国史観を否定し、新しい歴史観に基づいて書かれたもので、冒頭に石器時代がおかれていた。その内容は、「縄目の紋のついた土器や石器を使い、シカやイノシシ、貝などをたべて生活していた。その証拠は畑などで見つけることができる」とあり、記述はなかなか正確である。これによって、縄文時代が初めて普通の日本人、あるいは子供たちに紹介されたのである。
しかし、縄文研究はアカデミックの世界では明治10年(1877)のE.S.モースの大森貝塚の発掘にはじまり、東京大学人類学教室を中心に成果が積み重ねられていた。昭和10年(1930代後半には、現在使われている土器編年の大枠が固まっていたようである。その一方でふるくからの宝物ハンターの伝統も根強くあり、発掘そのものはなかなかさかんだった。「くにのあゆみ」は考古学者に始めて正しい光をあてたというべきだろう。
その結果、遺跡の発掘が全国的に展開され、たくさんの子どもたちも参加した。その頃、大きなニュースとなった遺跡は、弥生時代では登呂遺跡が、稲作がはじまった頃の村の様子を実証した。また、大湯環状列石は日時計やストーンサークルという特殊な構造から縄文文化の不思議さを印象付けた。その後も、長野、新潟など、中部地方の土器や土偶に見られる芸術性の高さ、三内丸山遺跡の巨大な遺構と大量の遺物が示すように、縄文社会が決して単純ではなく、複雑に発達した狩猟採集社会があり、その伝統は現代日本社会にも脈々とながれていることが明らかにされている。
ところが2007年頃、「ゆとり教育」が実施されるようになったとき、突然、縄文時代が教科書から消えた。それは、考古学者をはじめとする、多くの識者の抗議によって撤回されたのだが、誰が主導し、そうなったのかという原因は、よくわからない。まさか、皇国史観を復活させようとしたとは思えないのだが。縄文時代は日本人の生活とこころの原風景だと私は考える。子供たちの自由研究には最適のものとおもうのだが。