エジプト人のガイドと旅していて、興味深かったことがある。敬虔なイスラム教徒である彼にとって、墓所や遺跡に描かれている神話は、自分とはまったく関係のない別世界だというのだ。ダイナミックな造りの神殿はすごいと思うが、テーマパークにも似た感覚で、遠いご先祖さまたちが祈った神々に、なんら畏れを感じないと。ふだんは神さまのことなど考えていないが、神社に行けば自然と頭を下げてしまうわたくしたちとはまったく事情が異なる。すなわち、膨大な歳月、労力、そしてとてつもないほどの費用をかけて造られた巨大な神殿なのに、祈る人がいないのだ。暇をもてあましているであろうエジプトの神々が、切なく思われた。
もうひとつ印象深かったのは、砂色の建物が実際はカラフルに彩られていたという事実である。実際、建物の壁には、彩色の跡が少なからず見られた。時を経て褪せてしまっているが、当時はもっと鮮やかだったに違いない。しかも、赤、青、緑、黄、紫、ピンクと多様な色が使われている。ツタンカーメンの仮面やファラオたちの装飾品から、豪華絢爛煌びやかがエジプト好みだとは理解していたが、それにしてもちょっと眩しすぎやしないか。ファラオや貴族たちの墓も、隙間恐怖症かと思うくらいびっしり、色とりどりの絵が壁や天井を埋めつくす大盤振る舞い。以前も記したが、ピラミッドもまた石灰岩で覆われ、太陽に輝いていたという。古代のエジプトの景色は、ラスベガスかマカオかというくらい、ど派手だったのだろう。
青森の縄文遺跡で赤い漆塗りの器を目にした際には、これまで思い描いていた縄文の情景に美しい差し色が入り、胸がときめいた。しかし、ルクソールの神殿では過去の名残にふれ、こてこてに彩られたなかをキンキラキンの衣装を着てファラオが闊歩する様子が思い浮かび、あまりのてんこもりぶりにげっぷが出そうになった。ナイルの緑に彩られた、砂色の侘びた今の眺めの方が正直なところ好み。でも、ひとつぐらいは完全に復元してもらうのも面白い。お役ご免になった神々も、多少はなぐさめられるかも……などと考えながら、我が家にある茶色い遮光器土偶(シャコちゃん)が目に入った。まさか、当時は真っ赤に塗られていたなんてことは……ないですよね。

わずかに色味が残った神殿の壁。
写真:松隈直樹

貴族の墓の内部。天井に描かれているのはぶどう。
写真:松隈直樹