教員生活にピリオドを打ってから6年になるが、次世代を担う生徒さんに自然を大切にする考えを伝え遺すのも私の使命の一部と考えています。修学旅行のスタイルは、日本の伝統文化を学ぶ形から、平和教育の学び旅に移行し、異文化を学ぶ旅は海外旅行に姿を変えた。現在は、環境教育が現代的な緊急課題であるようです。呼び方も「修学旅行」から「教育旅行」に変わり、学びの方向性が明確になったようです。
白神山地での教育旅行のテーマは「いのち」に集約されることに留意して受け入れているところですが、学校が求める「学びの内容」を十分に把握して意味ある旅行になるよう企業努力をすることが必要です。当該校のカリキュラムを理解し、解説を組み立てるのは、元教員の私が責任を持つ立場にあります。
当日のスタッフの割り当ても、マニュアルの理解度を計りながら決めるのです。このように選ばれたスタッフの緊張は、生徒さんを先生方にお返しするまで続くのです。学校教育のサポートをする者として知識的にも豊かでありたいとの思いは、勉強する意欲を生み出します。植物の名前を紹介することではなく、「いのち」を語れる力量を持つことは、教育旅行を受け入れる側の責任だと自負しているところです。
旅行終了後にレポートを送ってくださる学校もあり、担当したスタッフが何度も読み返している姿は達成感を感じる最高の時間になります。私たちも白神山地の大自然に育てられているのでしょう。こうした体験の積み重ねが、一般旅行のお客様の対応を陰で支えていることになっていることを感じます。教壇を降りた身ながら、どこかに教育者の魂が遺されているのかもしれない。否、教員根性の錆びがまだ落ちていないのだろう。知的サービス業の解説員である限り、昔の根性を脱ぎ捨てなければならないと思いながらも出来ない自分に苛立ちを感じつつ鼓舞する毎日です。