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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第18回 縄文鍋 2012年11月22日

縄文時代には土器が大量に作られ、使われていた。土器はC14(放射性炭素)年代測定によると約16000年前、氷河期がまだ終わらない時代、日本も含む東アジアのどこかで発明されたと考えられる。そして、6000年ぐらい前の縄文時代前期から器形、サイズ、装飾がいちじるしく多様化する。土器の効用は、煮沸、貯蔵そして食卓を盛り上げる飾りが考えられ、土器を持たない狩猟採集民の社会では生食や火にかざすくらいだが、火にかけて煮る容器があるとスープ状食品ができる。素材は柔らかくなり、栄養を逃がさず、複合した味ができるという利点がある。土器の発明は人間の食生活に革命を起こしたともいえるだろう。

机上論ではなく、できるだけ忠実に作る実験を三内丸山遺跡でおこなうことにした。
まず、調理用具は煮沸用の大型甕(かめ)、個人用の小型椀。木製の漆塗り皿、杓子、スプーン(もちろん、地元の陶芸家やボランテイアが作った復元品である)。次に食材としてクリ、ナラタケ、ナメコ、ミズ(ウワバミソウ)、タケノコ(ネマガリタケ)、ヤマブドウ、アサリ、カキ(牡蠣)を用意した。これらは今も青森の市場で手に入るもので、森や草原でも注意すれば普通にある野生食である。

調理のプロセスは火をおこし、オキのうえに、水を張った土器を置く(途中少し雨が降ったので割れないかとはらはらしたが大丈夫だった)。沸騰すると、まず干し貝と焼き干しを入れ、のち順にクリ団子(砕いてペースト状にしたもの)をいれ、キノコ、ミズ、タケノコを加えていった。ほかに、デザートとして、アケビ、クッキー、クルミとヤマブドウのジュースという献立になった。食材を用意していて感じたのは、縄文鍋は地産地消の料理であること、そして、季節に大きく左右される旬の料理であることだった。しかし緑菜が意外と少ないことを感じた。冬には(甕(かめ)で作った)漬物を使ったのではないだろうか。

縄文時代は石皿や叩き石がたくさん出土することからみて粉食が主体だっただろう。また容器の内壁に焦げ付きの多いことからみて、スープにトチやワラビの粉を混ぜてもっとドロッとした汁で、味噌や醤油がなかったこともあわせポトフのようなヨーロッパ的なスープだったとおもう。

これを食べた料理家の意見は「たんぱく質、ミネラル、ビタミン、食物繊維も多くて、栄養面から見てもすばらしい。肉や魚のバージョンもできますね。味もそれぞれの食材からうまみが出ておいしい。デザートまであって現代の縄文鍋として売り出せるのでは」というものだった。味付けに現代風の改良を加えれば、縄文人の知恵を生かした新しい料理ができるのではないだろうか。

煮沸用の大型甕(かめ)調理の様子

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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