考古学の本や報告書には「石器」として、ヤリやヤジリ、オノなどの写真や実測図が掲載されている。しかし、ほかにも磨石(すりいし)、敲石(たたきいし)、凹石(くぼみいし)、石皿、台石など数多くの石器がある。これらがあまり図示されないのは、なべて、大きすぎる(他のものとくらべて)、色が地味、使用痕が主で、定型化されていないものが多いからで、美的な面を強調しがちな出版物には適していないのだろう。三内丸山遺跡で聞いた話では、何十年も前に発掘調査された竪穴住居跡を再度掘ってみたら、土器や小型の石器はほとんどなかったが、大きな石皿はそのまま放置されていたそうだ。いわば、やっかいな遺物だったことがわかる。
しかし、オーストラリアで調査していた頃、大きな石のある場所はキャンプ地をみつける目印になった。大きな石が転がっている場所の近くには水があり、風も防げる。あたりに羽毛、動物の骨、折れたナイフ、空き缶が散乱し、ときには忘れ物らしいアクセサリーまでみつかるので、人々が繰り返し利用していることがよくわかった。
縄文時代のヘビー・デュティーと呼ばれる道具のなかで、磨石(すりいし)はすりつぶす、叩き石は砕く、それを受ける石皿や凹石(くぼみいし)が重要である。石皿は使いすぎて穴が空いているものさえあり、磨石(すりいし)は手ごろな大きさで、使用によって全体がツルツルになっている。つまり、縄文人は食材を砕いて粉またはノリ状にして食べていた、それは粉食、つまりコナモン主体だったことを示している。石毛直道(いしげなおみち)さん(元国立民族学博物館館長)に聞くと、いい粉ができるのは回転臼ができてから、石皿-すり石ではツブツブした粗い粉しかできないと言った。
トチやドングリはアク抜きのために砕くと処理が早くなる。クズ、ワラビ、オオウバユリなどは叩き潰してデンプンをとる、ヒエ、ソバ、キビなどの雑穀も粉にしたほうが消化がよい。残念ながら麺類はなかったようだが、団子、パン、クッキー、練り物ならOK。それを、蒸す、灰にうずめる、焼く、なかでも多かったのは汁の中に直接いれることだっただろう。肉や魚もミンチやツミレにした筈だ。
平成二十五年一月二日に放送された「和食が世界遺産? ~おいしい日本一万五千年の旅~」の撮影をしたとき、三内丸山遺跡で縄文土器をつかって調理の実験をした。コメがない、ミソ、ショウユがない状態でどんなものができるのか。すると意外なことに、スープとパン(団子)という西洋的な料理になった。ヤマブドウのジュースを醗酵させておけばワインまでついたのにと、まことに残念だった。

石皿(三内丸山遺跡)

石皿、磨石、敲石など石器類(三内丸山遺跡)