小学校や中学校に講演に呼ばれると、
縄文人の服を着て槍を持って出かける山田スイッチです。
縄文服は、着ていく服を選ぶ手間が省けて良いということを
現代の女性達はあまり知らずにいるのでしょうが、
縄文服ほど便利なアイテムはないと思っています。
先日、小牧野ストーンサークルで行った縄文イベントの帰りに
弘前駅前の打ち上げ会場に向かう途中、
着替える時間のなかった私と作家の田口ランディさんが
縄文服を着たまま駅前に槍を持って立っているのを見て
後ろから高校生が笑って見ていました。
高校生じゃなくても笑うと思うのですが。(笑)
服だけで笑いを取れるなんて、
なかなか素敵なことだと思います。
元お笑い芸人志望であった私は、どうしても笑いを取りたくなる性分なのですね。
以前、講演に行った先の小学校でいつも持ってあるく
縄文の槍を忘れてきてしまい、「困った困った」と言っていたら
そこの校長先生が、「サスマタならありますけど!」と言ってくれて、
何故か縄文服の右手に、犯人取り押さえ用の「サスマタ」を持って
講演をしたことがあります……。
あの時は、子供達にもいつもの倍以上「謎」を感じさせてしまったようで、
講演後に校長室にみんなが押しかけて、
たくさん面白顔やピース、一発芸をしてくれたのを覚えています。
小学校の講演に行くと、とりあえず私は
「今日は、生ゴミが土に還るというお話と、地獄が本当はないという
お話をしたいと思うのですが、皆さんどちらがいいですか?」
という風に子供達に質問します。
すると、100%の割合で子供達が
「じ……地獄! 地獄! 地獄!」
と答えるんですね。
地獄が本当はないというお話は、そんなに子供達の興味をそそる
ものなのでしょうか。
「それじゃあ、今日は地獄が本当はないというお話をします。
地獄のこと知っている人ーーーー!?」
こう質問すると、「ハイ、ハイ、ハーイ!」とたくさんの手が上がって、
小学生がたくさん情報を提供してくれます。
「閻魔大王がいる」とか、
「血の池地獄がある」とか、
「その深さは50メートルある」とか、
「悪い人がいく」とか、
「鬼がいる」とか、「鬼は何人?」と聞いたら
「3人」
「3人じゃちょっと少なくないかな~」と言うと、
「閻魔大王も3人」と言われ、
それはちょっと多いかもしれないと思ったり。
2000年代に入っても子供達の中にはちゃんとした
地獄像というものがあるのですね。
さて、当たり前のお話ですが
縄文時代に地獄というものはなかったのです。
仏教伝来は593年の飛鳥時代ですから、
それより前の日本には地獄というより、仏教そのものがなかったのですね。
しかし、我々は意外なほど「地獄があって当たり前」の思想を
心秘かに持って生きています。自分でも気付かないほど自然に。
「3歳児神話」というものをご存知でしょうか?
母親が、子どもが3歳になるまでは保育園などに預けずに
手ずから育てた方が良いと言われるもので、
長い間母親達の間で信じられていましたが、その「長い間」というのは、
戦後のほんの数十年のお話なんですね。
それじゃあ、それより昔はどうだったのかな? というと、
青森県では赤ちゃんを3歳になるまで
「えんちこ」という藁性のベビーラックに突っ込んで、
「えんちこ布団」でぎゅうぎゅうにして出られないようにし、
家事や農作業の邪魔にならないように、ミルクやおしめの時間以外は
放っておいたんですね。
なんとまあ、お手軽な育児方法だったのでしょう。
昔のことを知ることによって、かえって現代の私たちが妄信していることから
離れることができるというのは、不思議なことです。
小学校での講演では小学生のみんなと、
「昔はどうしていたのかな?」
「縄文時代はどうしていたのかな?」
というなぞについて考えます。
単純なようでいて、実は深い導きがあるのです。