前回、縄文人のティータイムと題して、彼らが仕事のブレーク時に温かい飲物をとっていたのではないかと考えてみた。それでは彼らは何を飲んでいたのか。土器をつかったのだから、植物などを煎じたものだったのではないか。そう考えていたら、ふと朝市の光景が浮かんできた。
朝市(最近では道の駅も)には里山で暮らす人たちがもちこんだ、米、野菜、果物や、餅、団子、漬物などの食べ物が並んでいる。それにまじって干した雑草が入ったビニール袋がつんであるふしぎな場所がある。そこには、アマチャズル、イカリソウ、オトギリソウ、ゲンノショウコ、スギナ、センブリ、ドクダミ、ヨモギなどと手書きした紙切れがついている。
「これはなに?」、「クスリだよ」。みるからに頼りになりそうな昔風のおばさんが、腹痛、利尿、風邪に効くと説明してくれる。しかし、全体は曖昧で、結局のところは「体にいい、元気がでる」である。処方についても「煎じる」というだけでよく分からない。トリッコトマラズという変な名前の木片の入った袋を500円で買ってしまったけど、どうしていいのか処理に困って、まだ棚にしまったままである。
ところが、興味深いことに、健康食品ブームにのってか、ムギ茶、ドクダミ茶、クマザサ茶、さらには数種複合の十六茶などという清涼飲料水がたくさん商品化されている。もし、縄文人が「ティータイムに煎じ汁を飲んだ」という私の仮説(大げさだけど)があたっているなら、日本人は再び縄文時代に回帰していることになるのではないか。
いや、真面目に考えれば民間薬とはなにかという問題につきあたり、それは縄文時代の医療という大きなテーマに関わってくる。現在私たちは、成分を科学的に抽出した西洋医学の薬と、漢方の生薬、そしてそのどちらにも属さない民間薬をつかっているわけだ。日本の医療は、明治時代からは西洋医学、それ以前は奈良時代からの漢方が公的なものだった。しかし、それに属さない「和方(わほう)」とでも呼ぶべき領域が根強く続いていたことを民間薬が示していると思う。
人類は古来、試行錯誤を繰り返しながら、怪我や病気を癒すために、まわりの動・植・鉱物にまで目を配り、それぞれの地域で独自の医療文化をつくってきたことは、世界の民族例を見れば明らかである。「和方」には、縄文医療の痕跡が残っている可能性が強いと思う。いつかその実態を明らかにしたいものである。

高山宮川朝市

青森古川市場