きれいだと言われる場所を訪れ、予想したほど心が動かないことは少なくない。殿方もまた、然り。「カッコイイ」との噂にときめき全開でご一緒しても、自分のストライクゾーンからはずれていると、おこがましくも、あれれ? となる(すいません)。逆にわたくしの肩書きである「のんだくれ」は、常に相手の印象を裏切らないようだが……。
などというヨタ話はさておき、今回訪れたインドのタージ・マハルの美しさに関しては、おそらく皆さまも一度は耳にしたことがあるだろう。17世紀、ムムターズ・マハルの死を悼んだムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンの命により、20年近い歳月と莫大な費用をかけて造られた霊廟。そんなロマンティックな背景も相まって、一度は見ておきたいとかねてから思ってはいたものの、すべてをおいてまで、というレベルでは決してない。朝4時にデリーを出発して5時間以上かけて到着し、入場するまでしばし炎天下に並んだ苦労から、正直なところ、その姿を拝めた際には、ようやくここまで来られたわあ、という感慨の方が深かった。
ところが、である。建物に近づき、その白い大理石の床を踏みしめた瞬間、背中に羽が生えたかのような、ふんわり夢心地となった。大理石のするりなめらかな感覚と真上からの太陽に照りつけられて煌めく白の眩しさに、この世ではないどこかほかの場所にいるような不思議にとらわれたのだ。さらには、随所に施された繊細なレリーフに目が釘付けとなる。妄想家の常である、その場所にまつわるエピソードを思い出して酔う習わしも吹き飛び、ただただうっとり。「美しい」という言葉は、タージ・マハルのために学んだに違いないと、心底思った。満月の夜の前後、2日間だけ許されるという月明かりの世界にひたりたいとの欲望が、むくむくとこみあげてきた。
イスラム系の造形はもともと好きなのだが、これまではタイルの深いブルーやグリーンに魅せられていた部分が多いような気がする。だが、このタージ・マハルは、色彩が施されていない分、エレガントさが際だつ。雑然、としかいいようのない砂埃舞うアーグラの街に戻り、うんまいチキンカレーを食べても、冷たいビールをあおっても、ふわふわした真っ白な夢から冷めず。その後も世界遺産訪問を重ねつつ、魔法にかかったままの状態は続くのである。混沌と緻密の同居。まっこと、インドは深かった。カレーのおいしさもまた、たいそう深かったのですがね。そのお話は、追ってまた。

この景色が満月に照らされて、と思うだけで一升飲めそう。
写真:松隈直樹

大理石の床にふりそそぐ日の光が眩しく映え、さらなる彩りに。
写真:松隈直樹

かつては宝石に彩られていたという廟のなか。
写真:松隈直樹