「科学の時代は終わった!」と言い放つ辻誠一郎先生、唖然とする聴衆・・・先月開催されたNPO縄文発信の会主催、東京縄文塾での光景です。辻先生といえば、東大大学院で教鞭をとられる環境植生史学者、理系バリバリの科学者をしてかく言わしめた縄文人の環境管理術、それは我々凡人縄文ファンが薄々感じていたよりも、さらに偉大なものだったのですね。
毎年刈り取って植えなおす1年生の草木、稲を中心に環境とつながってきた日本人ですが、「縄文時代は100年の尺度で森を経営し、里の環境を維持していた多年生森林経営社会」という解釈を以前にも辻先生は話されました。この言葉を聞いてハッとするのは、科学のお陰で長寿になったはずなのに、日々を勝手に忙しくして1年どころか分刻みの毎日を過ごしていると、1本の木を見ても木々が生きる時間に合わせ ゆっくりと遥かに、自分がいなくなった先にも続いてゆく未来にまで 思いが至らなくなっている現代人の自分に気づくときです。
「どの木から今年の漆の樹液を掻かせてもらうかは、木と相談して決める」日々の仔細な観察を伝統の知恵に重ねて、木の体調を察しながらお付き合いすることで何世代にもわたって漆の木から樹液を摂らせてもらってきた現代の漆掻き名人の言葉。分析や分類や数値やデジタル写真で「科学的」に木を知る私たちは、自分の言い分でしか木と付き合わなくなったし、木に言い分があるなんてそもそも考えない。だから木と相談もしなくなりました。山とも風とも海とも相談しなくなって、不意打ちをくらって悲鳴を上げる「科学の子」が私たちでしょうか。手塚治虫ファンの私としては残念なことですが、鉄腕アトムは確かに前世紀のものになりました。
縄文時代の三内丸山村には、生まれ育った土地を草木や獣と分かち合いながら、何世代にも渡る駆け引きの経験を知恵として伝え暮らす人々が住んでいたのでしょう。出土した広大な栗や漆の栽培林の痕跡は、縄文人たちの膨大な自然とのおつき合い情報アーカイブ、そのほんの一部だったのかもしれません。
「ただひたすら真っ白な氷原を獲物を追って何日も旅をするイヌイットは、なぜ自分たちの家に帰りつけるのか?」辻先生はこうも問いかけられました。
「それは彼らに共有される物語があって、そこに祖先たちが積み重ねてきた位置読み取り情報がしまわれていて、子供の頃から繰り返し聞きつつ雪原を歩いていれば、道順を忘れることがないから。」
多くの狩猟採集の民が文字を持つ代わりに、この上なく豊かな口承物語を持っていることは知られたことです。木と話し合い、獣たちと駆け引きをするときに、縄文人たちが最後に判断を仰いだのは、それらとの数千年のおつき合いの歴史から聞こえてくる祖先たちの知恵の言葉、それで紡がれた物語だったかもしれません。
人と自然環境の優れた関係を探るなら、「忘れていた縄文の時間と人の潜在能力を発揮して、科学に頼るな。」辻先生は次世代の人々に向けて、そう言っておられるのかなと思いました。
何世代にも渡る経験から語られる数々の物語をデータベースとして、研ぎ澄まされた感覚器官を読み取りソフトに、環境が発する声なき声を聞き取り、分け前を分け合っていた人々。
コンピュータはおそらくアトムに変わる21世紀の「科学の子」でしょう。将棋電王戦では初めて名人が負ける結果に終わったようですが、猟場の森で狩りのゲームをしたら、縄文人は永遠にコンピュータに勝つのかもしれません。
お知らせ
『ブナ林と狩人の会:第24 回マタギサミット in 猪苗代』が6月に開催されます 主催:狩猟文化研究所・東北芸術工科大学東北文化研究センター 期日:6月29,30日テーマ『今、東北の山々で何が起きているのか』
詳しくは・・・(PDF:第24回『ブナ林と狩人の会・マタギサミット in猪苗代』しおり)
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