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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第24回 薬草について 2013年6月10日

縄文人が「お茶」してたのではないか、ということから、彼らが何らかの医学的知識や技術をもっていたのではないかというところまで話がとんだ。
わたしが薬草に興味を持つようになったのは、最近、山口大学の五島淑子さんが、『防長風土注進案』(1842年)に書かれている当時の山口県の村の産物を抜き出してデーターベース化し、分布を地図(GIS)に示そうとする研究班に参加しているからだ。現在作業中の打ち出しリストを見ると、700近い薬草が出てきたが、誤記、誤読を考慮しても優に300種は超えるだろう。専門家じゃないので、その特定が大変。「注進案」の薬草はほとんどが漢方のものだが、ほかに多くの民間薬がある。

山口県薬剤師会編『やまぐちの薬草』(1989年)によると、薬草の効用は、痛み、消毒、熱、咳どめ、下痢、便秘、利尿など、日常よく起こる内科的な愁訴に対応するものである。使用法は主に煎じること。素材にヨモギやドクダミのような身近な草を使うこと、普通は一品だけをトンプク的に使うことも、複雑な調合を行う漢方とは違う。全体的に見ると、即効よりも健康とか滋養強壮用であることは、今流行のサプリメントに似ていると言っていいかもしれない。

民族誌にはたいてい薬用植物リストがある。アメリカ北西海岸諸族のものをみていたら、シロウトは絶対使うなという注意書があった。これは彼らが経験を積み重ねながら選び出してきた知識が失われているためと見るべきだろうか。

日本の医学は大宝律令(701年)に典薬寮をおいて正式に中国医学を取り入れることにした。その後、時代とともに研究が進んだが、とくに江戸時代のはじめに中国から『本草綱目(ほんぞうこうもく)』が入ってからは、それを典拠とした本草学が発達した。そのため各地で専門書から一般向けまで多くの書物が出版されるようになった。

その歴史を辿ると、日本の「いわゆる」漢方のなかに土着の医療の存在が垣間見えてくる。これを考古学的証拠だけで追うのは至難の技なのだが、たとえば、5千年以上前のアイスマンの腰の刺青は鍼(はり)の点だろうという意見とか、現在普通に行われているマッサージやハンド・パワー(気功)が世界的に共通してみられることを考えることで、道が開けるかもしれないと思う。

あれほど豊かな社会をつくりあげた縄文人が、彼ら独自の医療の知識とシステムをもっていたことは、当然であろうとわたしは考えている。

百味箪笥(漢方薬を入れる箪笥)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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