タージ・マハルが建つアーグラーの町から車で30分ほど、約40キロの距離に位置するのが、インドの世界遺産のひとつ、16世紀の都ファテーブル・シークリーである。とはいえ、初めて名前を聞くという方も多いのではないか。かく言うわたくしも、タージ・マハールへの行き方を調べていて初めてその存在を知った。それもそのはず、都として賑わったのは1574年~1588年のわずか14年間だけだったのだから。
遷都を命じたのは、ムガル帝国3代皇帝アクバル。なかなか後継者に恵まれずにいたが、とある聖者に相談したところ、世継ぎの誕生を予言され、実際、その言葉通りに。というわけでアクバルは、アーグラーから聖者の住む場所に都を移したのだそうだ。で、一説によれば、例年以上の酷暑と水不足が続いたため、再びアーグラーに戻っちゃったのだとか。引っ越しのたびに敷金礼金でひいこら言っている身としては、なんとも羨ましいお話。
ダイナミックなお金の使い方はさておき、アクバルという人はインドに根づいていたヒンドゥ教文化を駆逐することなく、自らが信仰するイスラム教との融合を目指したのが評価されている。このファテーブル・シークリーの建物も、イスラム色とヒンドゥ色がともにほんのり香る、不思議な魅力があった。それとともにもっとも印象的だったのは、吹く風のやさしさ。そのまま寝転がって、お昼寝したいくらい気持ち良かったのである。タージ・マハルもそうだったが、宮殿をはじめかつての為政者が選んだ場所はいずこも、実にいい風が吹いていたのが忘れがたい。煌びやかな宝石同様、インドにおいて風はなににも代えがたい宝だったのではないか。などと妄想しながら、縄文時代に思いが飛ぶ。というのも実は旅の前に、全国各地の縄文遺跡をまわっている方から、たいそう興味深い話を聞いていたがゆえ。
縄文遺跡があるのは確実に、日当たりが良く、川に近いが増水のおそれがないエリア。周辺を歩けば、なるほど! と、場所を決めた縄文人たちと気持ちが重なるという。高級住宅街も少なくない。たとえば東京なら、あの田園調布にも縄文の名残があるのだ。1000年経っても、1万年経っても、人間が心地よさを覚える場所というのは、そうそう変わらないのでしょうねえ。となれば九州をはじめ南のエリアでは、インド同様に涼しい風が貴重だったのかも。三内丸山をはじめ、北はどうだったのだろうか。いずれにしても、各地の縄文遺跡で一升瓶を空け、そのまま眠りこけたならばきっと、心地良い風のなかですてきな夢が見られそう。今度三内丸山でこっそり試してみようかしらん。

とびっきり心地良い風が通り抜けたパンチ・マハルは遊技場だったとも。
写真:松隈直樹

謁見のための建物とされる、ディーワーネ・ハース。
写真:松隈直樹

ディーワーネ・ハース内部。一説によれば、この柱の上に玉座があったとか。
写真:松隈直樹