
”Cutting through the time” Sahoko Aki
「ここから先は今は掘りません。未来の考古学者に残しておきます。」
現在も次々と発掘調査が続く三内丸山遺跡を歩きながら、きっぱりとした口調で岡田先生が言われたこの言葉を、つくづく思い出しました。
日本は世界的に見ても発掘件数が抜きんでて多い国だそうです。高度成長の時代から列島改造の大号令のもと各地で繰り広げられた「開発」、そこから更に大深度掘削技術を発達させて地下へ伸び始めた都市を抱え、長い歴史を詰め込んだ狭い国土からは、当然のことながら次々と歴史の遺物が見つかります。そういう状況で行われる発掘を緊急発掘と言うそうです。
「緊急発掘調査は,道路や施設の建設など各種の開発行為によって遺跡が破壊される事態が生じたとき,事前に発掘調査することによって,失われるすべての情報をその遺跡から回収することを目的として実施される調査で、考古学とは直接関係のない原因によって突発的に実施する必要が生じたもの。」と、モノの本に書かれていますが、近年日本で行われている発掘の95%以上は、この調査になるそうです。特に、現在は震災津波の被災地で、全国の応援を仰いで文字通りの緊急発掘が必死で行われています。
ちょうど今、そういう現場を切盛りしている県や市の文化財保護課の人々にインタビューする外国人研究者のお手伝いをしています。彼の研究目的は、ヨーロッパ・新大陸・そして日本の考古学研究のあり方を比較しようとするもので、様々な形で考古学と関わる立場の人、一人一人に面談するという方法をとります。
私は仕事上、フラフラと各地を飛び回り、研究者以外にも考古学と関わる様々な方と知り合うので、この研究のお手伝いとして面談をセットしたり、通訳として立ちあう機会を頂くことになりました。
面談では、いくつもの感銘深い言葉を聞きましが、緊急発掘の現場を次から次へとこなしてきた文化財保護課の人の言葉が心に残りました。
「工事の技術が進歩したのなら、遺跡を発掘しないで保存できる道の通し方や、ビルの建て方がもっとあっていいはずだ。」

アラン諸島への船が出る港町にて アイルランド
緊急発掘調査の呼称が普及してほんの数十年、2世代に満たない現代人たちが縄文時代はおろか、氷河期、恐竜時代にも遡る永い永い古層の遺物を掘り返し、抜き取り、収集、収蔵していると考えると、ひょっとして我々は 未来の人々に対してとんでもない罪を犯しているのでは?という気が確かにします。
「日本中にある何千何万箱もの出土品、報告書、そのうち一体どれだけが、興味深く誰かに見てもらえるのだろうか・・・・。」その人は言いました。
土の中から現れ出てくる遺物の輝きに魅せられて考古学者になった者なら、発掘現場の興奮や感動を、自分の世代だけで洗いざらい持ち去るようなことはしたくない・・・というのが、その人の言い分だったかもしれません。
百年のスパンで森を育て、悠久の山河と時をわけあって暮らした縄文人の時間で考えれば、瞬きをするほんのひと時に 憑かれたように土地をぶっ壊しまくった数世代の人間が、遠い先祖が残した尊い証を、片っ端から灰色のプラスチックの箱に入れていく光景は、狂気以外の何ものでもない気がします。
地下街や道路のためにその遺跡が破壊されることを免れないなら、「失われるすべての情報をその遺跡から回収する」ことで、我々はその罪をまるごと引き受けるしかないでしょう。でも、例えばダム湖に沈むのであれば、進化する水中考古学の未来を担った私たちの子孫が、どのようなスマートな方法でそれを再び発見するかもしれない。いや、彼らは必ず発見するでしょう。
箱や展示ケースに入れられた遺物や報告書で出会うのではなく、数千年の歴史が眠りから覚める瞬間の現場の感動を味わう権利は、未来の人々にもあるはずです。何もかもを今「見つけてしまわない」ことで、私たちは未来の世代にそれを持ち越すという選択もするべきではないでしょうか?
「ここから先は今は掘りません。未来に残しておく。」
壮大な時の流れの中で、私たちは、祖先の大いなる遺跡をひととき預かる立場になった世代、そう考える謙虚さのようなものが今、求められている気がしてなりません。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ