弘前であけびづる細工の職人さんをやっている方が、三内丸山を訪れた時の話なのですが。縄文人が編んだポシェットを見て、その方はこうおっしゃったのでした。
「編み方は今と変わんねえな!」って。
青森の伝統工芸であるあけびづる細工は。ブドウやあけびづるの蔓を編んで作られるものです。その伝統はひょっとすると縄文時代から、人の手によって伝えられたものなのかもしれませんね。
三内丸山遺跡から出土した縄文ポシェットは、イグサ科の植物で編まれ、中から割れた胡桃が一つ出てきたそうです。五千年前に誰かが、ポシェットに胡桃を入れて、お出かけしていたんでしょうか。きっとお洒落なポシェットは流行になり、たくさんの縄文人が素敵なバッグを持っていたのかもしれません。
こういった植物でできた製品は土に風化しやすく、縄文時代に使われていた植物の製品が出土するのは、本当に珍しいことのようです。
八戸市にある是川遺跡では泥炭地であったために、約三千年前の地層から、漆器や木製品が数多く出土しました。
漆を使うことを知っていた縄文人。その美的センスは現代に通じるものがあります。
へら状の木製品には彫り物が施され、それを大切に使っていた人の心が感じられます。
五千年、四千年、三千年と時の流れを経ても、変わらないもの。漆の赤を美しいと思い、翡翠に穴をあけ、オシャレに身を飾った縄文人。
彼らの目に映っていた数千年前の地球は、一体どんな景色だったのでしょうか?
八戸市の是川遺跡を訪れた方にぜひお勧めしたいのが、帰りに種差海岸に寄り、種差海岸の岩礁に登ることなのです。
景勝地である種差海岸は、青い海と黒い岩礁に砕ける白波があまりにも美しく、激しい波音を聴いているうちに何もかも忘れ、言葉を失ってしまう場所なのです。
私の中ではしばらくの間、「青森県の縄文は種差海岸だ!」というイメージが根付いていたのですが、昨年の夏。作家の田口ランディさんに新たに「あそこは青森の縄文よ!」と言われた、思いがけない場所がありました。
「スイッチさん、仏ヶ浦は縄文よ!」
「ほ、仏ヶ浦ですか……!?」
それは下北半島にある国定公園、秘境 仏ヶ浦なのです。
ま、まさか青森県に秘境があるとは……思ってもみなかった私ですが。
仏ヶ浦は写真で見る限り、縄文遺跡よりも先に世界遺産に登録されそうな、そんな勢いを持つ場所なのです。
「神の業 鬼の手創り 仏宇陀
人の世為らぬ 処なりけり」
歌人の大町桂月が歌ったこの場所は、「本当にこんな場所、青森にあるの!?」と叫んでしまうほど、巨岩・奇岩に囲まれた、人を飲み込むような迫力に満ちた場所なのでした。
何千年前からそこにある、太古の記憶が甦るような秘密の場所。
きっと私たちが縄文と呼んでいるのは、そういう場所なのではないかと思うのです。