お月見コンサートが始まったきっかけは、「月は縄文時代からずっと変わっていない。その、縄文の頃から変わらぬ月に思いを馳せて、眺めよう」という趣旨の下に始まったのだそうですが。お月見コンサートというのは、そのものずばり「月が主役なんだ」ということを。出かけていって、初めて知った「あそこのおかあさん縄文人」です。
こんなにも月の登場を待ちわびたこともないでしょうし、
満月の光がこんなにも強いと感じたことも、なかったと思います。
JOMON FANでエッセイを執筆されている菊池正浩さんが、「天の繰り広げる天空ショーのシナリオは、われわれには、想像のつかない見事なものです。」と、先週のエッセイで書いておられましたが。本当に、このショーほど見事なものはありません。
まるで月が生き物のように、煌々と輝きながらその存在を見せつけてくれたのでした。
縄文時代の主役は、空なんだという思いが最近、強くあります。
朝、太陽が昇ってくる時の美しさといったら。ドラマティックで、「こんなすごいものを毎日見ていていいのだろうか…」と。
そう思えるほど、日の出は美しい物語のようです。
しかも、それと同じ日に今度は夕日がやって来るんですよ。
ダイナミックな夕日が。
雲の切れ間から射す光は、美しすぎて言葉にすることができません。
お日様は、いつまで見てても飽きることがない。
「こんな空、見たことない」は。
毎日のように息子の保育園の送り迎えに、呟いてしまう一言です。
夕日が終わって、昇る月。繰り広げられる大宙の天空ショー。
今年の夏、北海道で開催されたアイヌモシリの「一万年祭」に出かけたのですが。
透き通るような沙流川の近くにある二風谷のアイヌモシリは、
夜になると熊の息づかいが聞こえるんじゃないかというほど静かで、
真っ暗な場所でした。
お祭りが終わって眺めた空の、こぼれそうなほどの満天の星。
こんな夜空は、オーロラを観に外国にでも行かないと、
一生観ることができないものだと思っていたのですが。
こんなに近くにあったのです。
きっと、青森市の小牧野遺跡辺りでも、
この満天の宙を観ることができるのでしょう。
今月(10月)18日に、私と作家の田口ランディさんで作った「縄文友の会」主催の
三内丸山縄文大祭を遺跡で行うわけですが、
その日は、できるだけ灯りを押さえて、夜の闇に浮かび上がる炎を演出しようと
思っているのです。
遺跡に響き渡る太鼓の音、縄文からの声。
そして、闇に浮かび上がる舞踏家・雪雄子さんの舞い。
ここでもきっと、宇宙が主役になると思うのです。