
田中縄文館図録より
雪化粧した猿投山、さざ波光る矢作川、遠く木曽の山並みを望む園地に点在する白い土塀の田舎家と瀟洒な明治の洋館。のどかな川辺に、忘れられた村のように豊田市民芸館はありました。展覧会「縄文の美」が開催されていたのは、そんな懐かしいこじんまりとした佇まいの会場でした。展覧会に伴う縄文の土偶作りワークショップを依頼されての小旅行でしたが、思いがけないことにそこには数奇な再会が待っていました。
再会というよりは、ようやく会えたというべきでしょうか。展示ケースの中に並んだ遺物のうちの4、5点ばかりは、実は何十年も前に私が生まれて初めて描いた縄文土偶たちでした。見えるようではっきりとは見えないアナログ印刷の写真と格闘しながら、当時の私は初めて見る縄文の造形に感嘆したり、ウラ面はどうなっているのだろうかと悩んだりしながら、眺め、描き写したあの土偶たちが、居心地の良さそうな古民家造りの展示室に ほっこりと並んでいたのでした。
関取りのちょんまげのようなヘアスタイルと、ボルサリーノの帽子をかぶったような頭部だけの土偶たちは、相変わらずイナセな目線を投げながら「やあ!」とばかりにこちらを見ているようでした。彼らのショーケースにたどり着く前から私が感じたのは、これらの土偶のどれもに漂うそんなくつろいだ空気といいますか、ユルさだったように思います。
以前にミホミュージアムでの土偶展を見たときは、重厚な暗闇の中でスポットライトを浴びドラマチックに陰影を刻む土偶たちに出会いました。悲壮感さえ漂うその姿や表情は、音楽で言えば大交響曲でありレクイエムであったかもしれません。
しかし、豊田市民芸館に並んでいた土偶たちに流れる音楽といえば、木遣り歌とか馬追歌のような、一陣の風のように飄々とした生活の歌といった感じがしました。木遣り歌を唄う山男の高く澄んだ声のように、粗野のなかのシンプルな熟練と洗練、その佇まいが展示場の建築空間とそこに並べられた縄文の遺物には共通してあるように思われたのでした。
これらの土器や土偶たちには実は第二の故郷があったそうです。田中縄文文化館。埼玉にあったその有名なコレクションが、閉館という事態にあって散逸を避けるため、はるばるこの豊田市民芸館にもらわれて来たとのことでした。
幸運にも、田中氏が自ら編纂したコレクションの写真図録を、私は頂くことができました。この本を開くと、田中順三というひとりのコレクターの情熱と審美眼が 彼が収集した縄文の遺物全てに貫かれてあるのが見て取れます。耐え偲んで苦悶するよりは むしろそれらを飲み込んで、空を見上げて伸びをするような人の大らかなひとときを、田中さんの眼は見つけようとしていたのかなあ・・・と、そう思えました。
どっしりと質実剛健な建築美を見せながら、喜びや労苦に満ちた暮らしをじっと受け止めてきた山国の伝統住居の空間に、田中さんの眼によって選び抜かれた縄文文化の断片たちは実にふさわしい気がしました。
やがてワークショップを始めると、そこに嬉々としてやってきたのは、民芸館とこの河畔の公園をこよなく愛する人々でした。展覧会に日参しては土偶たちのスケッチを1枚1枚楽しみに描く人、世界中の暮らしや説話をノートに書き留めては、人間の優しさを探す人。どの人も、博物館よりはちょっと敷居が低い民芸館の空間で「縄文の美」とともに、よそ行きでないくつろいだ時間を楽しんでいるようです。
その日できた作品たちは、三内丸山遺跡の復元大型住居で体験するのと同じ、どっしりとした木の空間のダイナミックなインスピレーションに満ちていました。
取り残され、忘れられた村で、安住の地を見つけた縄文の遺物と気取らない人々が、ひとりのコレクターの情熱と審美眼に貫かれたおおらかな美に出会い、安心につつまれている気がした一日でした。

週刊朝日百科日本の歴史 縄文人の家族生活イラスト より
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ