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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第14回 「トーテムポールの謎」 2009年3月25日

トーテムポールの調査に出掛けた、カナダ北西海岸の話を続けます。トーテムポールが数多く残るハイダ族の集落跡である、ニンスティンツは1981年に世界文化遺産に登録されています。保護のため、立ち入りは厳しく制限されており、事前の申請が必要となります。

さて、残されているトーテムポールを見てみると、完全の形のものはひとつもありません。厳しい気候のもと、途中で折れたもの、朽ちて倒れ、まさに大地に帰って行く途中のものなどがありました。貴重な文化遺産が失われていく様は、文化財保護に携わるものとしてはとても残念な思いですが、ハイダ族にすれば自然なことなのかも知れません。

トーテムポールは海岸線に平行に立てられていますが、中には内陸部に立つものも見られます。ひとつひとつ観察すると、トーテムポールには大きく3種類あることがわかります。

3種類のトーテムポール

 

ひとつは記念碑としての性格をもつもの(写真右端)で、大半のトーテムポールが該当します。特にリングを刻んだものは、その数がポトラッチという大規模な祭りを行った回数を示しています。数が多いほど祭りの回数も多く、それだけ力のあるムラだということを示しています。より高く、太いトーテムポールを立てることがムラやリーダーの力を誇示することになるわけです。

太くて低い、あるいは平行して2本立つもの(写真右から3番目、5番目)は墓として使われました。柱をくり抜いた穴や2本の柱に板を渡し、そこに遺体を入れる箱を置く場合があります。もちろん、箱にはトーテムポールと同じような彫刻がされている場合が多かったようです。ハイダ族の場合、このような墓に埋葬されるのは、リーダーやその家族に限られるようです。ハイダ族は階層社会を構成していたと考えられていますので、墓は階層の上位の人達のものと言えます。

そして、最後は家の飾り柱(写真右から2番目、4番目)として使われています。木造の板壁構造の家が一般的ですが、その家の真ん前に立て、そのトーテムポールをくり抜いて出入り口を作っているものが見られます。せっかく美しい彫刻を施しながら、それを無視してくり抜いている場合もあります。

おおよそ、トーテムポールは記念碑、墓、飾り柱の3種類あることがわかりました。6本まとめて立てるなどということはなく、一本一本に全て意味があるのです。三内丸山遺跡の6本柱との関係を見いだすことは困難でした。

ハイダ族の末裔と話をしていると、彼は日本でトーテムポールをたくさん見たと言います。どこかと訪ねるとヨコハマの小学校にあると言います。そう言えば、小学校の卒業記念でトーテムポールをクラス毎に作ることがあり、それを見たのではと勝手に納得した次第です。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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