わたしたちは老後をどう過ごせばいいのか、それが現代日本の大きな問題となっている。上野千鶴子さんが「おひとりさま」と表現しているように、単に一人の人間だけではなく、妻(夫)や子どもを巻き込むばかりか、日本社会の存亡にかかわるとさえ騒がれているのである。その実態は人口ピラミッド(年齢別にその数を積み重ねるグラフ)を見るとよくわかる。日本社会はつい1960年代まで子どもの数が多く、年齢が上がるにつれて数が減っていく「富士山型」であった。ところが今は60歳以上の老人が異常に多い「つぼ型」になっている。シミュレーションによると2050年にはそれがさらに顕著になり、老人が巷にあふれることになるらしい。いったい誰が面倒見るのだろう。

人口ピラミッド(総務省統計局ホームページから転載)
何故こんな事態になったのか。その要因として、高齢化(医療の発達と栄養良化)、晩婚や非婚による少子化など多くの要因が挙げられている。しかし、何より大きなのは社会構造の変化であろう。具体的には親類も含めた「家族」集団を中心に営まれていた社会が、孤立性の高い小さな「核家族」に切り詰められ、さらにそれが崩壊するという変化によるものだと思う。実はそれがわたしたちが望んだ、「より良い生活」への努力の結果だったのだが。
「縄文人が介護していた」ことが以前、話題になった。噴火湾に面した入江貝塚(縄文時代後期、北海道洞爺湖町)で発掘された人骨が、頭部は普通の大きさなのに両手両足が極端に細いことから、この女性は幼くしてポリオにかかったが、ほぼ動けない状態のまま20歳前後まで生きながらえていたのは、行き届いた介護があったからだというのである。しかしそれは、縄文時代は未開社会だったのに、そこまでやったのかというわたしたちの偏見にすぎない。縄文時代は「家族」を中心とした社会だったことは、住居の大きさ、丁寧な埋葬に見られる祖先信仰があったこと、狩猟採集とか初期農耕という同じ経済レベルにある世界の民族例を考えれば当然である。わたしが行ったオーストラリアの北海岸のアボリジニのムラでは、動けなくなった老人や病人への世話は手厚く感動的でさえあった。一方、家族の一員であれば当然のことだという思いもした。
人間が生きていくためには周りの人との絆が必要である。そのためには介護システムを中心にすえて、同世代とか同じ趣味のグループ作り、これまで希薄だった近所付き合いの強化などさまざまな試みが、行政も参加して各地ではじまっている。わたしたちはもう、あのなつかしい縄文的家族を取り戻すことはできないだろう。だから、それに代わる仕組みを見つけることが、今、どうしても必要なのである。