縄文時代の「赤」はとても印象深い色です。特に縄文時代の最後を飾るにふさわしい亀ヶ岡式土器には、赤漆(あかうるし)を巧みに利用した工芸的にも美しい土器が数多く見られることで有名です。
この赤漆ですが、もともと漆そのものには色がありませんから、赤く発色させるためには、赤い色の素である赤色顔料を混ぜなければなりません。この顔料ですが、縄文時代には大きく二種類あったことがわかっています。ベンガラ(酸化第二鉄)と水銀朱(硫化水銀)です。ベンガラは縄文時代より前の旧石器時代からすでに使われており、北海道では墓の中にベンガラがまかれた痕跡が確認されています。縄文人にはなじみのある顔料と言えます。
津軽半島の今別町に赤根沢というところがあります。ここは良質のベンガラとなる鉄石英が採れることで江戸時代から知られています。その大きな塊は県天然記念物として保護されています。どうも縄文時代のベンガラもこのあたりのものが利用された可能性が高いと考えられています。三内丸山遺跡からはこのベンガラの小さな塊が出土しています。大きさは1~2cm程度です。この塊をたたいて細かく粉砕し、粉末状にし、さらに比重選別や不純物を取り除き、あるいは加熱処理を行って、漆に混ぜ、美しい赤漆を得たようです。
一方、水銀朱ですが、本県では縄文時代後期以降に特に多く見られるようです。土器に塗るよりも赤漆塗りの櫛などに使われています。ただ、この水銀朱がどこで産出したのかは現在のところよくわかっていません。北海道では水銀朱を使った製品が多数出土していますので、北海道に原産地を求める考えもあります。
ここで注意しなければならないことがあります。今、私たちが見ている赤は縄文時代の赤そのものではなく、かつて縄文人が見た赤とはやはり変化していると考えなければならないことです。発掘現場にいると、長い間地中に埋もれ、空気と遮断されていた赤漆の製品が掘り出され、空気に触れて酸化し、色が変色してしまう場面を見ることがあります。もちろん実験で再現するということも考えられますが、縄文人がどのようにして顔料を加工し、漆に混ぜたのか、その方法やプロセスが必ずしも解明されているわけではありませんので、再現も容易ではありません。
いつか縄文人と同じ赤を見てみたいと思います。おそらく、赤はひとつでなくいろいろな種類の赤があったのではないかと密かに思っています。