私が敬意を抱く作家のひとり、陶芸家の宮本るり子さんはもう10年来 兵庫県の「丹波の森公苑」で子どもたちと縄文土器を作り、野焼きで焼成するワークショップをされています。
幼稚園児や小学生とずいぶん縄文の造形を作ってきましたが、それらの作品を焼いて仕上げるというところは学校の先生や陶芸の専門家のお世話になってきた不甲斐ない私でしたので、陶芸専門のワークショップ指導者でもある宮本さんの野焼きを、美しい丹波の里山で、しかも子ども達とともに見ることができるとは、またと無い幸運と押しかけ参加で見学をさせて頂いたわけです。
白壁に黒い瓦、広い軒に木の柱が並ぶ丹波の森公苑は、里山特有のほっこりと優しい山々の風景のなかにありました。数週間前に子どもたちが造った土器は山懐の小屋で自然乾燥されています。考古学者の鈴木さんから縄文時代の人々の暮らしぶりが丁寧に解説された後、子ども達は小屋に行って各々自分の作品をとりあげ、宮本さんとボランティアの方々が待つ山の空き地へやってきます。
うずたかく積まれた焚き木、藁。大八車の前の草地に年季の入ったトタン板が敷かれています。「縄文人ならまず下草を焼き払って準備するでしょうけどね」と宮本さんは言います。下草に類焼しないためのトタンなのですね。
そのトタンの上にこんもりと置かれた小枝や枯草に、まず子供ども達は火をつけなければなりません。マッチを擦ったことがない子も何度かの失敗の後、やがて小さな炎が揺らめくと目がキラーンとなりました。
小さな焚火の周りに、小屋で陰干しした土器をできるだけ長く置いて内部まで乾燥を促します。山といえども夏の盛り、灼熱の太陽がトタンに降り注ぐので土器焼きにはもってこい、人間には過酷な真夏の焚火が始まります。しかしまあ、子ども達の好奇心はそんなことにはひるみません。「栗のイガが燃えるときれい!」と誰かが言えばクワガタのように栗の木に飛びついて採ってくるし、松ぼっくりが勢いよく燃えると歓声をあげ、気の毒なミミズは数匹絶命。
さて、土器が内部まで乾いた頃を見計らっていよいよ本格的な野焼きの始まりです。
酸素を供給するために土器はみな金網に乗せられて下には煉瓦の台が敷かれました。火は金網の下から空気とともに勢いよく燃え、土器の間を万遍なくすり抜けて上昇するというわけです。いつも思うことですが、陶芸をする人は芸術家でもあり科学者でもあるなあ。。。と言うことは、縄文人はみんな狩人で科学者で芸術家だったんだなあ。
そんなことを考えている間 子ども達も昼ご飯に行ってしまったというのに、宮本さんはぎらぎらした太陽の下で真っ赤に燃える火に棒を入れて、一つ一つの作品を丁寧に動かしたり裏返したりします。「割れてしまうと子ども達が がっかりするでしょうから」顔を真っ赤にしながら涼しげに言う言葉を聞いて本当に頭が下がる思いでした。
雲が流れる昼下がり、子ども達が畑の道を戻ってくる頃、野焼きもいよいよ終盤のメインイベント、薪をどんどんくべて火を大きくし、勢いよく上がった炎に包まれる土器たちを長い枝で覆います。その上に乾いた藁を思いっきりかぶせて山のようにすると、めらめらと大きな炎があがり遠い山の頂に届きそうなくらいになりました。
さすがの子ども達も火の勢いに遠巻きになり、興奮冷めやらぬまま豪勢な焚火をしばらく眺めていると、宮本さんがバケツの水をじゃっとかけはじめます。それを合図に一斉に水が駆けられ、たちまちに炎は消えて こんもりとした布団のような灰の小山が現れました。あんなに猛々しかった火は嘘のようにおとなしくなり、土器を優しく包む灰の間で明滅しています。
灰色の中に見え隠れする子ども達の縄文土器の優しいピンク色は、土の器の生まれたての色でした。子ども達はどんな歓声をあげてこれらの器をとりあげるかなあ。残念ながらそこで帰らなければならなかった私のもとへ林を抜けて涼やかな風が吹き降りてきます。里山に静かに日暮れの気配が漂い始めていました。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ