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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第38回 総天然色テクニカラー 2014年9月10日

縄文人の姿をカラーで描いてみようと思ったのは1980年代の初めだった。カラーテレビが普通になったし、週刊誌や新聞などにもカラー写真がどんどん使われるようになっていた。もっとも専門誌はあいかわらず白黒で、色刷りをいれると目玉が飛び出るほど高かったが、今にカラーの時代がくるという予想はついた。

カラーで思い出すのは子供時代にみたアメリカ映画で、海賊やガンマンそして金髪の美女の活躍に胸を躍らせたものだが、なかでもディズニー映画の「白雪姫」や「砂漠は生きている」などの総天然色の鮮やかさには固唾をのんだ。その影響は、留学したカリフォルニア大学のアメリカ人の仲間たちにもおよんでいて、化石恐竜の研究をやっていた仲間たちは、鳴き声、走り方から、色鮮やかな恐竜の姿を描いてみせてくれた。そんなことに大きな刺激を受けたと思う。

日本では1980年代まで、縄文人のイメージはボサボサ髪で、上半身は裸か、良くてもイノシシの皮を巻きつけ荒縄でしめ、はだしで混棒を持って歩くといったひどいもので、教科書や副読本にさえそれが描かれていた。
一方、私は北アメリカやオーストラリアで狩猟採集社会を調べていて、彼らは鮮やかな色の世界があり、縄文人もそうだったにちがいないと思うようになった。そこで、縄文人の姿を描くことにしたのである。相棒はイラストレーターの安芸早穂子さんだった。

縄文人は濃い顔で、角張った頬で目が大きい古モンゴロイドとされている。馬場悠男さん(国立科学博物館名誉研究員)は美人であれば吉永小百合、弥生系なら岩下志麻かな、と言っていたが、いまならAKBギャルズを分類してみせるほうがうけるだろう。
しかし、絵にするには髪、襟元を描かねばならない。遺物にみられる髪関係の道具はクシやヘアピンで、とくにクシは赤い漆を塗ってあり、髪飾りとして使われていたことがわかる。そこで、ミミズク土偶を髪結いさんに見せたところ、真ん中に根をつくりそこに前後左右から毛を集める日本髪と同じものですと結い方まで教えてくれた。
耳の飾りは、蛇紋(じゃもん)岩の環状耳飾り、直径10cm以上の土製品などで、現代のピアスと同じように耳たぶに穴をあけてつけていたようだ。
首を飾るには、ビーズを連ねペンダントをつけるなど、割合無理なくできる。しかし、襟元は服装に関係するので大仕事となった。素材は皮か、裁縫道具には針があるなどと松本敏子先生と相談しながらつめてゆき、土偶や民族衣装を参考にしながらどうにか作り上げた。それ以外の部分はアンクレット、ブレスレットなどがあり比較的簡単だった。靴は不格好だったけど。

この作業を通じて苦労したのはやはり色だった。遺物には赤と黒しか確かなものはない。ヒスイの緑、貝殻の白、メノウの黄色があることから、タンニンや草木染めなどの自然色があることは十分予想できるのだが。

それでも、わたしたちの描いた縄文人の姿は国立歴史博物館での「縄文vs弥生」(平成17年度特別展示)をはじめ各地の展覧会やイベントに広く利用されるようになり、市民と縄文の間を縮めたと思う。
市民のイメージは縄文人の目線に近いので、そのうち専門家には思いもつかないアイデアが出るだろうと期待している。

復元縄文美人(1989年)

復元縄文美人(1989年)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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