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連載企画

世界の"世界遺産"から

第62回 世界遺産を通して垣間見るイスラエルの過去と今 その2 2014年9月29日

「乳と蜜が流れる」。イスラエルで食事のたびに胸をよぎるのは、聖書の一文である。肉食のわたくしでもわしわし食べてしまうほど、きゅうりやトマトといったごくふつうの野菜が極めて力強いおいしさなのだ。水はけのいい土壌、たっぷりの日差し、乾いた空気という環境が、それぞれの個性を凝縮させている。果実もまた、然り。散策中に頼りになるのはジュースの屋台なのだが、ざくろやオレンジなどをその場で割って搾るその一杯はすこぶる美味。最初、興味津々で作業を見ていたにも関わらず、「砂糖は入ってないよね?」と思わず尋ねたほど、甘みは濃厚だった。

この地で醸されるワインもまた、最近、通からも注目されている。市場には、新鮮なチーズやオリーブが山積みに。アラビアのロレンスも愛したというナツメヤシの実は、3粒あれば1日の栄養分がまかなえる高カロリー食品だが、手が止まらなくなる濃密な旨さだ。実はイスラエルの食糧自給率は、現在約9割だとか。歴史物語ももちろん魅力だが、帰国後は食欲ゆえ彼の地が恋しくなる。

そんな豊かさは、緑が限られた周辺の国々にとって羨望だったに違いない。西側は地中海に面しており、軍事的にも重要な存在。それゆえに古の頃から戦いが重ねられてきた。その名残をたどれるのが、世界遺産のひとつアッコーの旧市街である。紀元前2000年頃には既に、エジプトの文書に記されたという歴史を持つ。

高い城壁に囲まれた街は、多くが16世紀以降のオスマン帝国時代のものでトルコ風呂を再現した建物もあるが、その地下には過去の置き土産が広がっていた。11~12世紀にかけて聖地エルサレム奪回を目指した、十字軍の拠点だ。太い柱が支える、大広間が続く景色は圧巻。一方で厚い壁の裏には、身長158センチのわたくしがかがまなければならないほど狭い隠し通路があった。戦の折に兵士たちがここを走ったのかと想像を巡らせているうちに、心理的にも息苦しさを覚えてしまう。

ざっくりと記すだけでも、十字軍の後はマルムーク朝、そしてオスマン帝国やムハマンド・アリー朝、第一次世界大戦を経てのイギリス軍占領と、この町の主役は変わり続けてきた。なかには1799年に、ナポレオンが攻めたというエピソードも。堅牢な守りには敵わなかったが、彼が征服を遂げていたら、その後の地図はどう塗り替えられていたのだろうか……。

などと考えながら地上に戻ると、どこからかシャボンの匂いが。見上げれば、万国旗のように洗濯ものが干されている。ガイドさん曰く、一帯には十字軍の時代から代々暮らしてきた家族もいるとか。市井の人は、為政者たちよりもたくましい。揚げものの香りにも鼻腔をくすぐられ、ちょっとだけ愉快な気分にかられた。

瑞々しいザクロを、そのまま搾ってジュースに。 写真:松隈直樹

瑞々しいザクロを、そのまま搾ってジュースに。
写真:松隈直樹

天井に十字が描かれているのが十字軍の証し。 写真:松隈直樹

天井に十字が描かれているのが十字軍の証し。
写真:松隈直樹

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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