少々重めの話が続いてしまったが、イスラエルの旅には心浮き立つ楽しみが決して少なくない。なかでも忘れてならないのは、海抜マイナス418メートルに位置する死海だ。気温が高く、水分の蒸発が供給量を上回るため、塩分は海水の約10倍と世界随一。子どもの頃、あまりに大好きで表紙がぼろぼろになった「世界の不思議」という本があったのだが、死海のページはとりわけお気に入りで、幾度となく眺めていたものだ。初めてその湖畔に立った際には、40年前の自分に会って、わくわくする未来を教えてやりたい気持ちにかられた。
湖面にはビア樽のような腹をしたオジサンも、超Lサイズの水着を着たオバサンも、ぷかぷか。しかしながら、目の当たりにしても、ほんとうに浮くのかしらと半信半疑。ドキドキしながら、両手両足をおそるおそる伸ばすと……おおっ、浮いた! 鈍くさいわたくしはなかなかバランスが取れず、くるりひっくり返りそうになったが、それほどまでに浮遊する力は圧倒的だった。
ためしにと舐めてみると(絶対にマネしないでくださいね)、「しょっぱい」という表現をはるかに越えた、言葉にしがたい猛烈な刺激が舌を覆い尽くした。と同時に、鼻腔を懐かしい匂いが通り抜け……ん、酸ヶ湯? 成分の詳細はわからないが、2度ともあの千人風呂の風景が胸をよぎったのは、これまた不思議。イスラエルの地で青森を思い出すなんて、子どもの頃には夢にも思っていませんでしたよ。
とにもかくにも、地球上では稀に見る存在なのに、実はこの死海、世界遺産登録には至っていない(ヘブライ語聖書の最古の写本「死海文書」や関連するイスラエルの洞窟は、暫定リストに記載)。それどころか消滅の危機に瀕しており、実際、湖面はここ10年で10メートル近く下がっているという。灌漑用水利用の過多をはじめその理由には諸説あるが、長年にわたり問題が指摘されつつも、早急な措置は施されてこなかった。なぜなら、イスラエルとヨルダンとの国境という、非常に微妙な場所に横たわっているためだとか。すなわち世界遺産への道のりも、遠いのだ。
とはいえ2013年にはイスラエル、ヨルダン、そしてパレスチナ自治区の三者が、紅海から水を引いて状況を緩和させる、パイプラインの建設計画に署名したとの朗報も。停戦を迎えた今も、周辺を含め穏やかな状況ではないが、魚も住めない死の海が、友好を生む良薬になればいいと心から願うのだ。

無事に浮くと思わず「いぇい」とやりたくなる。
写真:松隈直樹

ミネラル分をたっぷり含んだ泥には美肌効果も。
写真:松隈直樹