「カトマンズの谷」といっても、自然遺産ではない。実際にはヒマラヤ山脈の麓「カトマンズ盆地」にある3つの古都の文化遺産のこと。どうやらネパール語の「盆地」が「valley」と誤訳されてしまったようだ。訪れたのは首都カトマンズと、その郊外に建つスワヤンブナートである。
スワヤンブナートは、一説によればヒマラヤ最古の寺院だとか。仏塔に描かれている瞳は、四方を見渡すブッダの智慧の目なのだそうだ。カトマンズ有数の観光地であるがゆえ外国人も少なくないが、それ以上にお参りする地元の人の姿の方が多い。さらには、信仰の対象として大事にされている猿も、気ままにあたりをうろついている。木造の寺院が並ぶ街中のダルバール(王宮)広場も、同様に地元民であふれていた。なかにはのんびり休憩中や、ごろり昼寝中の人も。正直に言ってしまえば、どなたかが御用を足してしまった気配も、そこはかとなく漂っている。人だけではない。牛(飼い主のいない、野良牛だという)も鳩も、いっぱい。12世紀までその歴史を遡れる建造物も残っているが、場所によってはすぐ脇を、猛スピードでバイクが走り抜けていく。
あまりの大らかさにはらはらしてしまったが、実際、1979年の世界遺産登録後の急激な都市化にともない、現在は危機遺産に指定されている。スワヤンブナートもダルバール広場も、美しく保存されているとは言い難いが、地元の人々の拠り所になっているのは確か。それは世界遺産云々という感情ではなく、単に自分の生活に、そして心に欠かせない存在としてなのだろうけれど。一部の人にとっては、観光客相手の重要な商いの場でもある。中国福建省の土楼もそうだったが、暮らしに根付いている世界遺産というのは、維持がなかなか難しい。とはいえ、その暮らしがなければ、ただの抜け殻。意味をなさなくなる。今後の選択は、容易ではないと察する。
「世界遺産に登録される前、子どもの頃は垣根の隙間から庭園によく入り込んでいた。かくれんぼには最高の場所だった。今では考えられないことですが」とは、京都の世界遺産のひとつ「平安神宮」の近所に住む方のお話である。三内をはじめとする縄文の遺跡は、現代の生活に密着しているわけではないが、未来に世界遺産に登録されても、日常の延長につながっていて欲しい。遺跡内で積極的にイベントが開催されるような、自由はいつまでもそのままにと、昨年、コンサートで見た月が忘れられないわたくしは思うのだ。