冬になると炬燵の周りにだんだんと必要品が集まり、手を伸ばせば届くように配置されたそれらにぐるりと囲まれるモノグサ暮らしが始まります。クールな都市を造り上げてきた近代化の歴史も、シンプルに言えば快適な炬燵から出ずに間に合わせるモノグサスタイルを追い求めることだったよなあと炬燵で思う寝正月。
狩りや漁に行こうと思えばまず石器を作り、木の枝を折って道具から作らねばならなかった古代人の暮らしとコンビニ生活を比べれば、それは自明のことですが、新年恒例の初詣に押し寄せる人々のニュースを見ながら、神様についても我々は縄文人に顔向けできないモノグサスタイルを築いてきたなあと、ふと思いました。
いつの頃からか神様は、気が向けば手が届く都合のいい処に押し込められ、好きな時にお参りすれば必ず会える存在に変えられていきました。元旦などにはこちらの一方的な願い事が逃げ場のない神様に洪水のように降り注ぐといった構図です。
初詣にもいかず炬燵でテレビを見ている立場では文句は言えませんが、寺や神社や教会に行けば神様に会えるという教育を受ける前の人々は、いったいどんなところで神とまみえていたのかと考えると、自ずと八百万の神々が散在する山野を思うことになります。
そもそも神という観念は いつでも人とすげ替えるのに便利な一神教から来た観念ではないでしょうか。縄文人が怖れ敬い親愛の情をこめてお祀りしたのは、霊であり精霊と呼ぶ方がふさわしい多様で、気ままで、それこそ神にも悪魔にも変化するモノたちだったでしょう。
おそらくは景観を天体の動きとともに捉えるための装置であったウッドサークルやストーンサークルを驚くべき精緻さで作った彼らの究極の目的は何であったのかを考えると、その季節その日時にまみえ、願い事を訴えなければならなかった何モノかがいたからではないかという考えが浮かびます。
狩人や漁師がそれらとまみえる時空は毎日そこに行けば簡単に成立するものではなかったはずです。それはおよそ千載一遇に近い奇跡、自分から好きに出向いてゆけるものでさえ無く、むしろあちらから選ばれたことを察知し、恐る恐る出かけ、多くの難儀や関所を通り抜けた末の疲労困憊の居眠りのさなかなどに現れる事象としての聖なる霊との邂逅であったのではないかと私には思えます。
神社の後ろに鎮守の森があるのではなく、鎮守の森の入り口に神社があるだけでご神体は森であり山であります。はじめから神々は社にはいなかったのです。時々刻々に変化する自然事象の上に現れ出たり消え失せたりする霊的なモノ、霊的な刻との邂逅は人間関係で手いっぱいな現代人には何の関心もないことになりました。
禁断の海域 禁断の深山、見てはならないもの、遭遇してはならないもの、近代の世界が迷信迷妄と呼んで征服してきたそれらタブーの在処は精霊の領域と重なっていたはずです。夜を照らす蛍光灯のような近代文明はそれらを私たちから見えなくしましたが、それらとまみえるために人間が耐え忍ばねばならなかった不合理で不都合な、不可解で不可能な、圧倒的存在の恐怖を知らずには、実はこの惑星の一部として生きてゆくことができないこと。人が自分の身の丈を思い出し続けることはできないことを、縄文の精霊は今でも、発掘される遺物や遺構によって我々に伝えようとしている気がしてなりません。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ