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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第42回 和食の民族学 2015年1月17日

和食が世界遺産になったことは意外であった。それほどの普遍性を持つとは思わなかったからである。私は1971年から5年間カリフォルニアで学生生活をおくったのだが、その頃はコメの塊の上に生の魚を乗せて食うスシとはなんたることか、奇妙な日本人の食というのが一般的な声だった。

1980年にスシがブームになっていると聞いて、まさかと思いながら石毛直道さん(国立民族学博物館名誉教授・元館長)に誘われロサンジェルスへ日本料理店の調査に出かけた。その結果、スシの流行は見た目の美しさ、清潔感、料理人と客のやり取りのおもしろさなどさまざまな理由があったが、中心となっていたのは低カロリー食であることだった。高カロリー、高タンパクなど、栄養過多で太りすぎや心臓病につながるアメリカの豊かな食(それまではそう思っていた)への反省が底にある。しかし、これは一時的な流行にすぎず、今日のようにスシを中心とする和食が世界に拡散するとは私には考えられなかったのである。

これを外国に行った日本人の立場から考えてみたい。
日本人の和食に関するこだわりは結構大きい。その理由はなにか。私たち民族学者は、異文化世界に飛び込んで人々とできるだけ長く暮らすことが仕事なのだが、大きく分ければ「現地調達型(とくに日本食のないことを苦にしない)」と「日本食でなければ型」に分かれ、たいていはその中間にいる。
アボリジニの村では、魚、鳥、獣はふつう直火で焼いて食べ、調味料は使わない。そして、保存を考えずその場で食べてしまうのである。調味料のいっぱい混ざった料理が懐かしい。

だからだろうか。調査が一段落ついて町に出てみんなが集まると、決まって日本料理つくりがはじまり、冷やしうどんや冷麺をつくるのである。オーストラリアは東洋系の移民が多いので食はまだ恵まれているのだが、かつてアフリカで、石毛さんがオクラの粘りを利用した納豆や、干しダラをふやかした刺身を作ってふるまい、みんなが感激したという話がある。

幕末には日本人が集団でアメリカ、ヨーロッパを訪れたが、彼らは私たち以上に和食へのこだわりが強かった。次号ではその足跡をたどりながら日本人の和食の秘密を探ってみたい。

カンガルーの調理(1980年ノーザンテリトリー/オーストラリア)

ウミガメ卵の採集(1986年ノーザンテリトリー/オーストラリア)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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