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連載企画

世界の"世界遺産"から

第14回 ビール飲みつつ愛でる、ブリュッセルの世界遺産。 2010年4月22日

ベルギーの首都ブリュッセルの街は、目的を持って歩いていても、誘惑にかられて立ち止まることしばしばである。まずは、甘い匂いを強力に放つワッフルの店。チョコレートや生クリームを、たっぷりかけて食べる。

日本と比べて極めてお手頃価格な、有名高級店のチョコレートもむしゃむしゃと買い食い。さらに目が釘付けになるのは、道端に並んだカフェのテーブル。ベルギーにはなんと約3000種のビールがあるそうで(一斗飲みのわたくしもさすがに制覇しきれていない)、百花繚乱並ぶグラスを見ると、つい休憩したくなる。

甘味、酸味、苦味と味わい多様なビールをおかわりしながら愛でられるという、のんべえにはなんとも有りがたい環境にある世界遺産が、一角にカフェが並ぶグラン・プラスの広場。今なお健在の市庁舎やかつてスペイン王が所有していた「王の家」など、17世紀建築のエレガントな建物がまわりを取り囲んでおり、観光客、地元民入り交じって、終日人通りが絶えない。夜、ライトアップされた姿も美しいが、早朝、朝日を浴びて煌めくときもまた、ぼんやり見入ってしまう。往く人、佇む人の気配と心地よいざわめきは空間の彩りとなり、中世の頃へと思いを飛ばす妄想の架け橋にもなる。作家のジャン・コクトーはこの広場を「絢爛たる劇場」と評したそうだが、まさしくという感じ。

もしコクトーが青森の縄文遺跡を訪れたら、なんと表現するだろうか。あるいは、現代の日本の詩人や小説家は、どんな言葉を紡ぐのだろうか。実は今、山の本を読みつつヴァーチャルに登山を体感するという、雑誌の特集記事を書いているのだが、優れた小説はドキュメンタリーよりもリアルに寒さや高度の恐怖を感じて、足や背中がぞくぞくする。「1Q84」のような大ヒットでなくてもいいから、縄文といえばあの小説! というように広く知られる作品が生まれれば、多くの人の心に縄文の世界が深く色濃く刻まれるだろうなあと思うのだ。

蛇足ながら、ベルギーには「フランダースの犬」という物語があるが、フランダース出身の中年男性とカフェで知り合った際に聞いてみたら、まったくご存知ないとのこと。どうやら日本でだけ有名との話は、ほんとうらしい。日本人ならネロとパトラッシュを、あの歌を思い出すだけで涙がこぼれそうになる。世界遺産にしたいくらいの傑作なのだがねえ。

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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