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連載企画

世界の"世界遺産"から

第66回 萩の町で幕末の志士たちの存在をリアルに体感 2015年1月27日

吉田松陰の妹、文を主人公にした大河ドラマ「花燃ゆ」がスタートした。舞台の中心となるのは、山口県萩市。今も残る城下町は、福岡県や熊本県の三池炭鉱関連施設、長崎県の軍艦島、鹿児島県の旧集成館(近代化を進めた島津斉彬が大砲鋳造や造船業を興した)などとともに、世界遺産暫定リストに記載された「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の資産のひとつ。今年の夏に開催される、世界遺産委員会での登録審査を待つ。

そんな情報を得て昨年訪れた萩の街で感じたのは、今もそこかしこに息づく志士たちのやわらかな気配だった。幕末から明治維新にかけて長きにわたり活躍した木戸孝允(桂小五郎)や、奇兵隊の創設者である高杉晋作の実家が過去への扉を開くのはもちろん、「晋作さん」「桂さん」(木戸さんではない)と呼ぶ地元の人たちの話を聞いていると、まるで今なお暮らすご近所さんのように思えてくるのだ。吉田松陰はもちろん、「松陰先生」である。松下村塾では文が嫁いだ久坂玄瑞、初代総理大臣となった伊藤博文など錚々たる面々が学んだが、驚くほど小さくて質素。それゆえに、国を思い熱く議論を交わす彼らの姿が胸に浮かんだ。

新幹線新山口駅から車で走った、1時間ちょっとの道のりもまた、興味深いものだった。毛利家は関ヶ原の戦いに敗れて萩に移ったが、さびれた地域な上、至る街道にも難所ありと、当初はもともと栄えていた山口や周防を希望していたとか。ところが幕府側は、三方を山に囲まれ防御に優れているというもっともな理由で、邪魔者を萩へと追いやった。一方で毛利家や家臣のじくじたる思いは300年にわたり継がれ、やがて倒幕への起爆剤に。山間を抜けて行くドライブは、その無念を実感したひととき。たとえささいであっても、旅したからこそ得られる+αがあるから、史跡を訪ねるのはやめられない。

ご存知の方は多いと思うが、松陰先生は青森県とも縁が深い。1852年の雪解けの頃、ロシアの船が出没するという北の国防状況を確かめるために津軽半島を訪れ、小泊から算用師峠を越えて三厩あたりで津軽海峡を眺めたとか(ドラマでは描かれなかったのが残念!)。実は2月初旬、久し振りに竜飛岬を目指す仕事が控えている。夜は松陰先生が「真に好風景なり」と「東北遊日記」に綴った、十三湖のほとりで飲む。江戸の頃へと思いを馳せながらの妄想酒は、さぞかし旨いに違いない。

"松陰先生"がこの松下村塾で教えたのは28歳のとき。 写真:松隈直樹

“松陰先生”がこの松下村塾で教えたのは28歳のとき。
写真:松隈直樹

"桂さん"が20歳まで過ごした実家。 写真:松隈直樹

“桂さん”が20歳まで過ごした実家。
写真:松隈直樹

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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