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連載企画

世界の"世界遺産"から

第15回 ドイツ・ケルンにて、縄文の顔を思う。 2010年5月28日

初めてドイツへと足を踏み入れたのは、ロンドンからベルギーと電車を乗り継いでの、陸路の旅だった。行く先々でひたすらビールを飲んでこいという、のんべえにとってはたいそう幸せな仕事である。

ドイツの目的地は、ケルン。中央駅と呼ばれる大きな駅に降り立てば、すぐ目の前にはケルンのシンボルとも言える大聖堂がそびえる。なんともお気軽に見られる駅前世界遺産ながら、高さ157メートルの存在感は圧倒的。ゴシック様式花盛りのデコレーションも、見る人を釘付けにする。その歴史は古く、始まりは4世紀まで遡るのだとか。その後、2度の建て直しを経て、現在の大聖堂の建築が始まったのは1248年。途中、財政難などで工事が途絶え、完成したのは1880年というから、気の長~いお話である。ゴシックスタイルが取り入れられたのは、19世紀の流行りだったからなのだそうだ。

この大聖堂と同じくらい魅力を放つのが、ケルシュと呼ばれるケルンならではのビール。いたって清々しく、いくらでも飲めてしまう危険な旨さに負け、ここでもまたぐびぐび。心地よく酔いながら周囲のドイツ人の立派な腹を前に、旅の記憶を振り返っていた。そう、3カ国をゆるりまわって次第に変わっていったのは、ビールの味わいだけではない。イギリス人は、欧州のなかで比較的に小柄。それが大陸に渡り、ベルギーに入ると、人間が縦に大きくなる。ドイツではそれがさらに、横に拡大。顔立ちも、微妙に違うのだ。中国、韓国、日本など、わたくしたちがアジアにおける民族の違いがわかるように、欧州の人々も、多少なりとも見分けがついているようだ。

いずれにしても繊細にして彫りの深い、周囲ののんべえの皆さまと、ごてごてした大聖堂の塔を観察しながら、わたくしは密かに青森顔と分類している顔立ちに思いを馳せていた。吉幾三氏、寺山修司氏などが、その典型。このJOMONサイトでお馴染みの土岐司氏にも、勝手ながら仲間に加わっていただこう。おわかりだろうか。瞳の大小にかかわらず、目元に独特の色気が漂う共通項があるのだ。東京で「あ、この方は絶対に青森出身」とピンと来る場合、言葉に関係なく100%当たるので、思い込みではないと自信を持っている。一方で縄文人といえば、眉毛が濃くごつごつした感がある。青森顔がロココ的だとすれば、縄文人は超ゴシック。何千年の時を経た現在、果たして青森顔は古の香りを継いでいるのだろうか。縄文の名残を青森の人そのものから見つけられたら面白いと思ってしまったのは、ビールの飲み過ぎかしら。

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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