沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連資産群」を巡ったのは、10年前のこと。そのひとつ、知念にある「斎場御嶽(せーふぁうたき)」での体験は、今も忘れがたい。斎場は最高位、御嶽は沖縄に古くから伝わる神々が降りてくる場所を意味する。すなわち、15~16世紀から継がれてきた「斎場御嶽」はもっとも聖なる場所だといわれる。
順繰りと拝所に沿って歩き、奥の奥の突きあたり、巨大な鍾乳石が三角形を描いた「三庫理(さんぐーい)」を前にした瞬間、立ちすくんだ。圧倒的な畏れ。誤解を恐れずに言えば、目には見えないけれど、なにかがそこにいる気配を感じた。お得意の妄想スイッチが入っただけなのかもしれないが、そのまま動けなくなった。
物見遊山ならまだしも、取材ゆえにきちんと隅々まで記憶に刻まなくてはならない。「ヘンなヤツ」という表情を浮かべたカメラマン氏に促されてなんとか岩の間の道を行き、最後の拝所にたどり着いたものの、足ががくがくした感覚が帰り道も残った。あえて答えを求めるとすればそれは、人の心が降り積もった「なにか」か。「斎場御嶽」は決して過去の遺産ではなく、今なお祈りの場である。
同様の不思議な感覚にとらわれたことは、これまで何度かある。熊野古道や伊勢神宮で、イギリスの小さな村の教会で、はたまたタヒチはモーレア島の緑のなかの祭壇で。とはいいながら、かつてルイ18世が仮の宮廷としたイギリスの古い屋敷で、ライブラリーの椅子に腰かけて優雅に庭を眺めていたら、「そこは王妃の侍女のお気に入りの席でね、今でも……」と言われ、焦ったことも。要するに、鈍い方だ。伝説が多々あるエジプトの王家の谷の墓のなかでも、生贄が捧げられたというマヤの祭壇でも、呑気に過ごしたのだからかなり怪しいが、科学では割り切れないものを全面的に否定はしない。眉唾を含めて面白がる。
そんな畏れや不思議を良しとしたいのは、青森のDNAなのかもしれない。「魔女の宅急便」のテーマとして知られる松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」を耳にすると、いつもそう思う。あの「神さま」のイントネーションが引っかかるのだ。わたくしたちの時代、青森では確かに、小さい頃に「カミサマ*」はいたよなあと。
*県外の方へ。カミサマとはシャーマン、民間の祈祷者のことで、青森の暮らしには日常的に関わっていました(います、の現在進行形かもしれません)。

斎場御嶽の三庫理。岩に挟まれた道は約10mの高さ。
写真:松隈直樹

三庫理の奥、東側からは琉球の創世神が天から降りてきたといわれる久高島が望める。
写真:松隈直樹