・・・肉食系婚活の話ではありません。弓矢で獲物を狙うカッコいいハンターの絵などを「縄文時代の暮らし」というと描いている我々にも責任はあるのですが、実は狩りの大方は地道な穴掘りや仕掛け作りであるということで、「狩りよりも罠」は現実的な狩人の知恵についての話です。
私が初めてその知恵について学んだのはマタギサミットに参加した時でしたが、つい先日も「ジビエ」で町おこしというTV番組の特集で同じような狩りの極意の解説を見ました。害獣駆除と地方振興を一挙両得で行える「ジビエ」ブームを盛り上げてと言った話はあちこちで聞くようになりましたが、この特集ではかなり本格的な町ぐるみの取り組みが紹介されていました。
かなり本格的とは、町の住人がシカ肉やイノシシの肉をほぼ牛肉なみに常食する習慣を奨励しているということで、今までのピンポイント的、嗜好的な取り組み方とは少し違っていました。つまり、この取り組みを支えるためには、毎日とは言わないまでも、技術的に毎日とはいかなかった縄文時代と同じくらいの頻度でシカとイノシシの肉を集落に供給し続ける必要があるという辺りが面白いと思いました。
「野生獣の肉」と言うと、マタギサミットの主人公、現代の生き残り狩人である週末猟友会のおじさんたちがライフルを構えてイノシシやシカを撃っているオキマリ映像がながれますが、すぐそのあとで これだけの頻度で肉を供給し、しかもそれが良質・安全な食料であるためには、罠猟によって得た獲物の肉でなければならないとの解説が、かなり丁寧にありました。
解説の骨子は、撃ち込まれたライフルの弾と、傷ついた筋肉や内臓から発散される負の因子による肉質の低下や汚染をまぬかれるためには、捕獲後のストレスさえ軽減する努力をすれば、罠猟の方が格段に優れた方法であるというものでした。ハンターのエネルギー効率から言っても、野生獣は追いかけ回して狩るよりも罠猟による持続的定点的獲得の方がはるかに賢明な方法だということは、マタギサミットのメンバーである猟友会のおじさんたちも口々に言っていたことでした。
その話を聴きながら私の脳裏に浮かんだのは、山深い越後三面川上流の河岸段丘にあった縄文の遺跡、元屋敷遺跡を訪ねた時に、山へと続く雑木林と集落のちょうど境目辺りになる段丘の上に累々と掘られていたイノシシの落とし穴遺構の光景でした。
毎夜人里にやってくる群れの習性、季節ごとエリアごとの行動様式、それらを何世代にもわたってつぶさに観察し、供に生きてきた人々だけができる知恵の結晶が罠なのだということを 私はその時教わりました。
集落の規模は本当に小さなキャンプ地くらいのものでしたが、もうそこにいない人々が残した落とし穴の壮観を眺めながら、地形を完璧に使いこなして実に合理的、システマチックなタウンプランをもった縄文の村の姿が私の中に姿を留めたのは、その時からでした。
同じ作法で自然界と折り合いをつけながら一万年余を暮らすとは、そういう洗練された知恵の集積を言うのであろうし、実際に彼らの集落が、21世紀人が想像するほど「原始的」なものであったのかどうかは、実は全く分からないところです。
「罠」猟とは、老獪で知恵に満ちた「静かなる狩り」であり、実のところ草食系男子に対する婚活としても、念入りな観察に基づいて相手を傷めず捕獲できる洗練された手法かもしれませんな。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ