メキシコの首都メキシコシティの要をなす歴史地区は、わたくしがこれまで訪れたなかで、最も気に入っている世界遺産である。中央アメリカにいることを忘れてしまいそうなほど欧州の趣が色濃いこの街は、スペイン人の手により16世紀に造られたが、その地下には壮大な秘密が眠る。
実はかつてこの地は、アステカ王国の首都、チノティティトランだったのだ。
1521年、エルナン・コルテス率いるわずか数百人のスペイン軍により、人口30万人を越える大都市チノティティトランは陥落。スペイン軍は神殿をはじめとする建築物を完膚無きまでに破壊し、新たな都市を築いた。一説によれば、アステカには古の戦いで敗れ去った神が時を経て戻ってくるという言い伝えがあり、予言されていた復活の年がちょうど1521年だったのだとか。すなわち、最初から刃を心に偲ばせていたスペイン人を、アステカの王も人々も神と勘違いして迎入れたというのだ。歓喜はやがて、絶望に。当時のスペイン軍の行動は、極めて残虐だったようだ。その後、侵略者と先住民の血はしだいに溶け合い、アステカの記憶は薄れていった。20世紀になってようやく、メキシコシティの要をなす中央広場周辺からアステカ時代の神殿への階段が見つかり、現在は発掘が進められている。
そんな話を聞きながら、陽気なギターと歌声が響く古い石畳の小道を歩いていたら、涙がこみあげてきた。切ない。切なすぎる。しかしながら、世界遺産の下に世界遺産級の遺跡が隠れていることを思い、心が躍ったのも確か。さらには、500年の歳月に洗われた街は、歴史の悲劇を忘れるくらい、実に美しい佇まいなのだ。メキシコ人はスペイン人を恨んでいないのかしら、という質問に、「もう昔のこと」と地元の人は微笑んだ。人はまさしく、過去の積み重ねの上に生きている。縄文の遺跡にしても、それ以前になにかしら営みがあったのかもしれない。縄文から「青森」に至るまでにも、数多の歓びや悲しみが降り積もったはず。はたまた遙か未来になれば、わたくしたちの暮らしもまた、地層に溶けるのだろう。「今」は長い長い時の流れのひとこま。メキシコで生まれたとも言われるカクテル「マルガリータ」で喉を潤すたび、あの時の複雑な思いが蘇る。