まずはその規模に、思わず笑ってしまった。どこまでも、どこまでも、想像していた以上にどこまでも続く、まさしく「万里の長城」である。全長約9000キロ。今回訪れた北京郊外の八達嶺長城は約4キロだというから、全体からすればほんの指先くらいの距離でしかない。
長城と言えば秦の始皇帝が真っ先に思い浮かぶが、この八達嶺長城を含め、ほとんどが明の時代のものなのだそうだ。それにしても、この広大な国を城壁で守ろうとは、なんとも大胆な発想である。うっかり間違えて、北京からローカルバスに乗ってしまい、ぎゅうぎゅう詰めの混雑と渋滞で3時間近くの移動。気を紛らわすため、携帯電話でグーグルマップ見ながら道筋を追っていたのだが、緑の山間を進むにつれ、古の頃は都からの移動すら大変なことだったはずと、過去に思いを馳せる。今でこそかんたんに地球の全体像が見られるが、逆にわかっていなかったからこそ、長城建築の計画を進められたのではないか。はたまた縄文の遺跡からは遠く離れた各地とも交流があったことが窺いしれるが、同様に、未知の行く先だったからこそ、先人は最初の一歩を踏み出せたのかもしれない。知識を得れば、人は無謀を捨てるものだ。
というわけでガイドブックで知識を得ていたわたくしは(既にバスを乗り間違えているが)、万里の長城行きが無謀な挑戦だとはこれっぽちも思っていなかった。多少なりとも歩かなくてはいけないのを覚悟していたものの、正直なところ「楽勝!」となめてかかっていた。とある番組の企画でSMAPの草薙剛と香取慎吾は二人三脚に挑んでいたし、島耕作は革靴だったし。しかしながら、ところどころで坂の傾斜が極めてきつく、垂直に近い階段には一瞬、足がすくむ。辛いのは、下り坂も同じこと。手すりを力強く握っていないと、運動神経が皆無ゆえ、すってんころりん転げ落ちていきそう。しかも、つむじがこげるほどの強い日差しに、たちまちへろへろ。とはいえ、途中で抜け出すこともできず、途中から無の境地に至った。夏の暑さがこれだけ厳しいなら、逆に冬は、とびっきり冷たい風が吹くのだろう。時には、石段も凍ってつるつるになるのではないか。かつての兵士たちにとって、ここを守る任務は極めてきつかったに違いない……。
ようやくの出口。水分が欲しくてたまらず、見渡しても1軒しかない売店で冷えたミネラルウォーターを買おうとしたら、150円とな。北京の街中では、10円だったのに。需要と供給のバランスがもたらす市場の原理を身をもって体験し、さらには翌朝、背中と腕が痛くてたまらず。その上、グーグルマップを見過ぎて、あら、ま、びっくりの携帯電話の請求が……。哀しいかな、とことん負けっぱなしの、長城遠征。