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連載企画

世界の"世界遺産"から

第19回 寂しき皇帝を思う真夏の北京・紫禁城。 2010年9月28日

今年の日本は全国各地で猛暑日が続いたが、わたくしがもっとも暑く感じたのは、5月下旬の北京。紫禁城の核を成す、太和殿の前庭に立ったときだった。映画「ラスト・エンペラー」の文武百官が並んだでもお馴染みの、巨大な広場である。

気温は35度と東京と同じくらいだが、太陽は真上から照りつけ、建物のまわり以外、日陰はない。行列で待たされたチケット売り場で既にぼ~っとうだっていた上、前庭と太和殿の存在感に圧倒されて思考回路は停止。思わず立ちすくんでしまう。紫禁城に呑み込まれたかのような錯覚に陥り、くらくらっ。

それでもなんとか、毛沢東の肖像画が飾られた天安門から奧に至るまでの1キロ以上を歩めたのは、ひとえに1本10円のアイスキャンディーのおかげだった。「ガリガリ君」を10分の1くらいに薄めた味ながら、よく言えば奥ゆかしいその甘味がたいそう気持ちよく、計3本も完食。

仕事中なのにだらしがないとはいえ、冷たい休息のたびに、浅田次郎氏の「蒼穹の昴」ほか、この地を舞台にした数多くのお気に入りの作品に思いを馳せることができたのだから、いたしかたあるまい。

ただ、現実に戻ると、目の前の建物太陽が燦々と照りつけているのに、国内外から訪れた多くの観光客であふれているのに、どこか寒々しい感じを覚えたのが気になった。

豪華なはずの調度品も、建物もどこか寂しげな印象を受ける。これはおそらく、ラスト・エンペラーこと皇帝・溥儀の悲劇を知るせいばかりではなく、歩き回っていたらふつうの天気でもくたびれ果てるであろう構造と、ヘッドフォンのガイドが語る、多数の儀式が組み込まれたがんじがらめの皇帝の生活のせいかもしれない。

まるで緩やかな監獄のよう。皇帝だからこそひとりでの行動はままならず、しかも高い城壁に囲まれていては、民の声も思いまったくも届かなかったはず。聞こえるのは、宦官をはじめとする取り巻きの甘言ばかり。世の中が見えていない暮らしは、終焉へと続く扉のひとつになったのではないか。

自ら望んで、あるいは周囲の策略に流されて頂点にのぼりつめた人の憂いを思いながら、紫禁城の裏門付近へとようやくたどりつき、喫茶室でひと息……と思ったところ、コーヒーや紅茶よりもなんとビールの方がお安いのである。経費削減のご時世ゆえ、当然ながら財布にやさしい一品を選択。喉を潤しながら、皇帝たちは体験したことがないであろう贅沢を味わった。ささやかな幸せだが、自由というのはいいものだ。

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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