「モーニング」(講談社)に連載されている、惣領冬実氏の「チェーザレ」という作品をご存知だろうか。タイトルからおわかりのように、チェーザレ・ボルジアの若かりし頃を描いた作品で、史実を丁寧に追ったストーリーと緻密な絵に、出会った当初から深く魅せられた。もちろん単行本も揃え、幾度となく読み返しながら、15世紀末にチェーザレが学んでいたピサのサピエンツァ大学と、陰謀の気配が見え隠れする古き街にうっとり思いを馳せていたのである。
酒を飲むたびにチェーザレを熱く語るほど夢中になっていた頃、取材で訪れたトスカーナのワイナリーからローマに車で移動する際、地図の片隅で「Pisa」の文字が躍った。時間に余裕があるとは言えず、しかも遠回りになるが、これを逃したらもう機会はないかもしれない。逸る心は抑えきれず、通り過ぎるだけでもいいからと同行者に頼んでルート変更。猛スピードで走る道中、頭のなかはチェーザレと同じ景色を共有できる喜びでパンパンにふくらんでいた。
街中に入り、かの有名な斜塔が顔をのぞかせるも、一方通行だらけの迷路のような構造になっていてなかなかたどり着けず。たっぷりじらされ、ようやく世界遺産「ピサのドゥオモ広場」へ。その第一印象は……まるで、千葉にあるねずみの国みたい! 折しも夏真っ盛り。広場は、短パン&Tシャツ姿の旅人でいっぱい。周囲のレストランは、いかにも観光客向けのしつらいで、明らかにアルデンテではない茹ですぎのパスタがテーブルに並ぶ。いわゆる一大観光地。大聖堂と斜塔の白が力強い青空に負けていて、テーマーパークの作り物のように見えるのも不幸だった。「ここはわたくしのピサじゃない」。子どもより酷い文句を吐いたあと、へちゃむくれに。もちろん、自分もまた観光客であることはすっかり忘れている。急かされるあまり進入禁止の路地に迷い込み、後に数万円の罰金を請求された同行者はいい迷惑。妄想が過ぎたがゆえの悲劇である。
クフ王のピラミッド内部での押せ押せ行列、敦煌の莫高窟内でのフラッシュ連発攻撃、まったく歴史に興味を示さない修学旅行生の首里城でのおしゃべり。人で賑わえば、それなりの弊害が生まれる。趣が失われる。以前にも記したが、静かな三内丸山遺跡に佇むのをこよなく愛する身としては、世界遺産の登録が叶ったとしても、ほどほどにほど良い状況が保たれればいいなあなどと、身勝手な考えをめぐらしたりもする。
イタリアから帰国後、「チェーザレ」を読み返し、再び美しい夢を見た。ちなみに縄文文化に関しては、星野之宣氏の「宗像教授異考録」(小学館)がじんわり泣かせてくれる。青森に帰れない寂しさを癒す、わたくしの妄想特効薬まんが。