オオカミはオーストラリア大陸などを除けば世界各地にいた。力強く、凛々しく、凶暴、ときには人を食らう恐ろしい動物である。世界の神話、伝説、童話に、「ローマ人の祖先を育て、赤頭巾ちゃんを食べようとし、森を守る神」などと語られて、不可思議で複雑なイメージを私たちも子供のころから刷り込まれてきた。しかし、人口の多い農業、牧畜をおこなう地域では害獣として殺され姿を消してしまった。それは日本も同じである。
日本のオオカミは100年前に絶滅してしまった。そう聞くとなんだか心にポッカリ穴が空いたような寂しさを感じるが、そんな感傷だけではなく日本の自然のシステムにも「穴が空いた」のである。具体的な例として、今日のシカ、イノシシ、サルなどの農・林業への被害をあげればよいだろう。日本列島ではオオカミが唯一の捕食者として、氷河期の終わりから現在につながる動物生態システムの頂点にたって、これらの動物をコントロールし、自然のバランスを保っていたのだから。その責任は私達がとらねばならないはずである。
普通、オオカミは2~10匹で群をつくり、森林・草原にまたがって3~5平方キロメートル程度の縄張りをもち、シカなどの中・小動物を餌にして暮らしている。そして、イヌの祖先であることが示すようにヒトとの接触をあまり嫌わない。相似た環境に住む両者の間には、食資源とする中・小動物をはさんでゆるやかだが緊張性のある共存的関係ができていた。しかし、その関係は常に安定していたわけではない。環境変化にともなって三者それぞれのポピュレーションが変わるからである。例えば、気候が安定している時、シカは増える。オオカミにとっては喜ばしいことだが、逆に気候が不順な(とくに大雪、大風、旱魃、霖雨などの災害)時、シカは激減する。オオカミは飢え、危険をおかしてヒトを襲うに至る。そんな繰り返しが日本列島の生態系の基本となっていたのである。ヒトとオオカミが、ある意味で「幸せ」につきあっていたのは縄文時代であったと考えて良いだろう。
オオカミが出土する遺跡を総合研究大学院大学附属図書館の貝塚データベースで調べると100件近くあり、年代的には縄文草創期から晩期にわたっている。(弥生から中世、近世にもある)。出土する遺跡が1000件をこえるシカやイノシシほど多くはないものの、クマ、テン、イタチ、カワウソ、ムササビなどと頻度が似ていて、まわりに普通に存在していた動物だったことがわかるのである。
三内丸山遺跡(第六鉄塔地区、円筒下層a式=縄文前期の層、約5,500年前)から「牙」が一点出土していることは興味をそそる。加工の跡は認められないが、他の縄文遺跡では牙や骨が装飾品に使われた例があり、もちろん時代は下がるが、民俗例ではイタコの数珠の中にオオカミの骨が混じっているものがある。それが意味するのは、オオカミにたいする日本人の心は縄文時代から連綿として今日までつながっているということだと思う。

オオカミの牙(三内丸山遺跡出土)

ニホンオオカミの銅像(奈良県東吉野村にて)