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連載企画

世界の"世界遺産"から

第23回 激動の地での笑顔の記憶 2011年2月25日

今年はしばらく日本国内の世界遺産について語ろう、と思っていたのだが、チュニジアから始まり、デモや暴動が各地で発生している北アフリカでの記憶を、あらためて振り返ってみたい。考古学博物館での盗難騒ぎが起きたエジプトはもちろんのこと、数多くの世界遺産が見られるエリア。発端となったチュニジアもまた、ローマやカルタゴの遺跡をはじめ、8件の世界遺産を有している。

その首都チュニスには、リビアのサハラ砂漠に向かう途中に立ち寄った。2年前のことである。夕食の場所を探しがてら、ガイドに頼らず街を散策するなか出会ったのは、オスマントルコ時代に築かれた世界遺産の旧市街と、フランス植民地時代の新市街。異なる景色が重なり合う様が印象深かったのだが、それ以上に忘れられないのは、地元の人の表情である。言葉が通じるか否かに関わらず、初めての町を歩くのは、幾分緊張を強いられるもの。昼間ですらなんとなく不穏な気配を覚えた経験もあるが、裏通りの一部の道はまだ舗装されておらず、瓦礫の山も方々で見かけたものの、不安は感じず。異邦人を見つめる大きな瞳はむしろ、やさしい好奇心に満ちていた。一方、デモの現場にもなったメインストリートにはパリさながらにカフェが立ち並び、欧州からの観光客をはじめ、小ぎれいな格好の人々がゆるりと。裏通りとの生活の格差を、漠然とながら感じたのも確か。

この格差というものは、いつ頃から形成されたのだろうか。縄文の遺跡から争いの跡が見つかっていないことを考えれば、騒ぎになるほどの不満を抱えた縄文人はいなかったのか。あるいは意見がぶつかり、村を捨てた人もいるのではないか。そんなことを思っていたら、チュニジアの隣国リビアでも市民が立ち上がった。テレビを見ながら、サハラ砂漠を案内してくれた現地のガイドが胸をよぎる。空港で出迎えてくれたその人は、グレーのジャケットを羽織り、どことなく硬い表情。生真面目で信頼できそうとの印象を受けつつも、楽しく過ごせるかしらと懸念したのも正直なところ。しかしながら、サハラ砂漠に足を踏み入れた後、彼の表情は一転した。こんなにもおしゃべりだったのかと驚いたほど、はじけんばかりの笑顔でジョーク混じりの会話を繰り出してくる。実に愉快な旅の仲間だったのだ。

首都トリポリに戻り、スーツ姿に戻った彼と再会した際、「別人に見えるよ」と冗談めかしたところ、「どちらも自分」と苦笑していた。とはいえ、街中の撮影時は周囲を気遣い、ピリピリしているのが語らずとも伝わってきて、双方とも冗談なんぞ交わす余裕は皆無。総勢5人の一行以外、誰もいない砂漠の星空の下、あれこれと語り合ったが、それでも政治や暮らしに関する不満は一切聞いていない。しかしながら、満面の笑顔を見せた砂漠での彼こそが本物だったと、信じている。どうぞ彼らが、いつだって心おきなく笑える日々が訪れますように。

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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