三菱重工業長崎造船所ほか8県にまたがる施設、史跡が、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された。噂によれば、萩の町は大河ドラマとの相乗効果もあってかなり賑わっているとか。長崎の軍艦島へと渡る船は現在、2ヵ月先まで予約でいっぱいという混雑ぶり。実際、港の受付窓口には、海外からの観光客を含めて長い行列ができていた。関係者の皆さまは対応に大わらわとなるだろうが、近い未来には「北海道・北東北の縄文遺跡群」もまた、このような状況になるのではと思いを巡らした次第である。
今回、資産群の多くを造船所や炭鉱などが占めるなか、異色の存在なのが長崎の旧グラバー住宅。邸宅があるグラバー園はもともと、修学旅行生をはじめ数多くの旅行者が訪れる観光地。1863年(文久3年)に建てられた建物自体が、国内に残る木造洋館なかでもっとも古く、一部が国の重要文化財に指定されたほど価値あるものだが、それにも増して圧巻なのは、屋敷の主、トーマス・ブレーク・グラバー氏の功績だ。
スコットランドに生まれ、上海を経て長崎に移住したのは1859年(安政6年)。まだはたちそこそこの若さだったが、本業である貿易に加えて旧グラバー住宅同様に世界遺産登録となった高島炭鉱を開発し、小菅の船工場の設立し。さらには長崎に蒸気機関車を走らせ、製茶工場を造り。これでもかなり端折っているのだが、彼が来日していなかったら、日本の近代化は遅れたのかもしれないと思えるほどの活躍ぶりなのだ。
武器の輸入も手がけており、その取引先のひとつが亀山社中。そう、あの坂本龍馬もグラバーのもとを訪れ、薩摩と長州が手を結ぶきっかけとなった武器を調達した。現在、邸内の一画は贅を尽くした当時の様子を再現しているが、好奇心旺盛な龍馬のこと。この洋館で見るもの、聞くもの、口にするもの、とにかくすべてに目を輝かせていたに違いないと妄想がふくらむ。天井裏に設けられ、密談が行われていたという隠し部屋にも心躍る。タイムマシンで移動し、内緒の話を聞きたくなる。
長崎の港を一望できる高台に位置するがゆえ、坂道の多いグラバー園内の散策は少々くたびれるのだが、歩き疲れた体を癒やすためにぜひ立ち寄っていただきたい場所がある。明治後期、ちゃんぽんと皿うどんが誕生した、老舗の中華料理店「四海楼」だ。白濁したスープはたいそうまろやか。五臓六腑にじんわりしみる、これまた世界遺産級の旨さなのである。

世界の情報が集まるサロンでもあった旧グラバー住宅。
写真:松隈直樹

天井裏の隠し部屋も残っています!
写真:松隈直樹