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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第50回 縄文人の食事:ルーツはおでん?芋煮? 2015年10月19日

発掘技術の飛躍的進歩によって縄文人の食に関する情報がずいぶん充実してきた。しかし、彼らが何をどう料理し、どう食べていたかの具体的なイメージがはっきり浮かんでこない。それは考古学が残されたモノだけに頼ろうとするからだろう。生活の情景を復原したいのならば歴史、民俗、民族、その他の資料による補助線をつかって考えるべきだと思う。

まず、考古学でモノについて何がわかっているかを整理してみよう。

食材は、魚介、鳥、獣、果実、デンプン、キノコ類など野生食が豊富であった。彼らは毒のあるフグから巨大なクジラまで何でも食べていた。ほかに、ヒエ、アズキ、エゴマ、ナタネ類を栽培していたし、ヤマイモ、サトイモなどの根菜類も状況的にみて育てていた可能性が強い。

食材加工具は石皿と磨石が主体だった。鋭い石器のナイフもあったが、刃渡りが短いので切断が主となりスライスするのには適していない。したがって食材は餅や団子としてまとめられる。肉や魚もミンチやツミレにしたのだろう。

調理には煮炊きに土器が使われていた。そのため、住居内に囲炉裏をつくり、そこに大きめの土器をのせて熱する「鍋料理」になったのだろう。

問題なのは口に運ぶ道具である。ふつう土器のサイズは5~10リットルまでのものが多く、このサイズは煮沸に適している。しかし、メニューがあつあつのスープだったとすれば、個人が食べるためのサイズの容器があまりにも少ない。そういえば鍋から取り分けるためのスプーンも少ないし、ハシはもちろんなかったはずだ。モノからわかることは以上である。調理法としては生のまま、直火であぶる、石焼き、灰に埋める、蒸す、などももちろん考えられるがモノとしての証拠はほとんどないのである。

では、縄文人は料理をどう食べたのか。とくに口に運ぶ場面がむつかしい。そこで思い浮かぶのは串である。クシ料理はサテ(インドネシア)、アンティクーチョ(南米)、シャシリク(ロシア)、スブラキ(ギリシア)など世界各地にみられることから、文化多元説をとって各地で発生したと考えてみよう。もちろん日本でも例は豊富で、囲炉裏のまわりに串を立てるのはお馴染みのシーンだし、焼き鳥、おでん、みたらし団子などは今でも普通のものである。クシ料理は手軽で仕上がりがきれい、熱くても食べられ、手を汚すこともない。縄文遺跡でクシが大量に発見されたことは聞かないが、クシがさかんに利用されていたとしても不思議ではないだろう。

すると思い浮かぶのは「芋煮」である。大きな鍋に雑多な具を投げ込んで煮る。食材にクシをさせば「おでん」である。クシによって熱さのトラブルが解消し、受け皿などの備品もいらなくなる。現在「芋煮会」は東北を中心に全国で行われているが、目立つのはコミュニティをまとめるイベント性である。さかんに火を焚いて、大きな土器をならべて芋煮を作る。大勢の人が集まり、子供たちはクシを手に走りまわっている。その祭りのルーツは縄文時代にあったといつも私は感じるのである。

青森名物生姜味噌おでん

青森名物生姜味噌おでん

みたらし団子(撮影:古口順子)

 

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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