ひところ、中沢新一さんの「アースダイバー」という本が、話題になりました。
現代の東京に、縄文の面影を探って歩くというとても新鮮な内容でした。
当時は、縄文海進といって、今より温暖なため、海岸線が高く、海が内陸に入っていました。そのため、縄文の遺跡は、だいたい小高い丘の上にあります。
そのことをふまえて、縄文の丘の学べという大胆な主張をしている方がいます。
日本の国土計画の大御所・下河辺淳さんです。
詳しくは、NPO法人・三内丸山縄文発信の会の機関紙「縄文ファイル」の2001年6月号に掲載されています。
かいつまんで言うと、こんな話です。
「日本の人口は、江戸時代で4000万人くらいだったのだが、20世紀で1億2500万人と3倍ちょっとに激増したんですね。その激増した人間が、縄文を全く無視して海岸に住んだんですね。で、その報いが今きはじめたわけです。飛行場は、沈下しちゃう、洪水の被害があり、ダムがいいか堤防がいいかでさえもめる。
人間と自然が共生するっていう言葉を今大切にし始めたけれども、人間の都合のいいところだけ共生するって感じで、自然が暴れると恐れいってしまうことを繰り返しているんですね。」
そこで、縄文の丘がクローズアップされてきます。
以下、大胆な近未来予測が展開されます。
「その時に、「縄文」は、非常に勉強になるんですね。
1億2500万人が100年で7000万人を割るだろうという予測して、その時どこに住むかという議論を今問い直さなきゃならない。そうしたら縄文人の丘っていうのが魅力なんですね。」
さらに、こんなふうに、結論づけます。
「縄文人が選んだ丘っていうのは生態系として非常に安定しているところです。
だから縄文に学ぶということは国土計画としては基本的なテーマになってきたと思います。」
過去の縄文の丘が、こんなふうに見直されるのかと驚かされました。