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連載企画

世界の"世界遺産"から

第75回 富岡製糸場で工女たちの笑顔に思いを馳せる 2015年11月30日

群馬県の富岡製糸場が2014年に世界遺産登録となったのは、まだ皆さまの記憶に新しいことと思う。その価値は、政府の肝いりで創業した明治5年から民間に払い下げられた後を含め、155年の長きにわたり操業が続けられたこと、上質な絹糸が輸出されて絹の普及に貢献したことなどがあげられる。

創業当時の富岡製糸場は、世界に誇る規模と技術を有していたそうだ。実際、繰糸所の景色は圧巻だったが、なによりも興味深かったのはガイドさんから語られた、かつての工女たちにまつわるエピソードの数々だった。

当初、全国から公募で集めようとしたものの、希望者は皆無。というのも、西洋人は人間の生き血を飲むとの噂が広まったためだ。フランスから多数の専門家が招聘されたのだが、彼らが飲む赤ワインが勘違いのもと。江戸時代を引きずったままの人々にとって、西洋のライフスタイルは理解を遥かに越えたのだろう。

誤解を乗り越えて働きはじめた、工女たちの暮らしも印象深かった。製糸場といえば、「女工哀史」という言葉が浮かぶ方は少なくないと思う。かつて、映画「あゝ野麦峠」を見て号泣したわたくしも、そのひとりだった。糸を繰るために繭をつけたお湯は、60~70度。素手の作業な上、立ちっぱなしのなのだから、決して楽だったワケではない。就労時をはじめ規則も、全般的に厳しかったようだ。工女たちのほとんどは十代。親元から離れ、寂しさも募ったことだろう。

とはいえ、食事や入浴といった生活環境は、整っていたようだ。さらには無料の夜学校も設けられ、国語や算数、裁縫などを学べたそうだ。賃金は、能力給。自分の仕事が認められたことを、誇らしげに綴っていた工女もいるとか。そして数少ない楽しみは、製糸場にやってくる菓子や着物の物売りと、日曜の外出……。そう、日曜が休みなのは今ではあたりまえだが、もともとは西洋の習慣。富岡製糸場では、それをいち早く取り入れていたのだ。

などというガイドさんの話を聞きつつ、切なさだけで構築していた想像の世界の片隅に、工女の笑顔の花が開いて嬉しくなった。場内は自由に見学することも可能なのだが、訪れる機会があるなら、ツアーに参加した方が確実に満喫できる!

で、ところ変わって過日、紅葉の白神山中を案内の方に導かれて歩いた際、同様の感慨にかられたのだが、そのお話はまた次回に……。

2階が繭の貯蔵庫になっていた「東繭置所」。 写真:松隈直樹

2階が繭の貯蔵庫になっていた「東繭置所」
写真:松隈直樹

創業時にフランスから輸入された繰糸機(復元)。 写真:松隈直樹

創業時にフランスから輸入された繰糸機(復元)
写真:松隈直樹

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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