パレオ・ラボ(科学分析会社)の佐々木由香さんのお話のつづきです。
10月の東京縄文塾でのことです。
前回ご紹介したように、タケがまだ日本列島に入ってきていない縄文時代、縄文人は、ワラビの繊維を使って、カゴを作っていた可能性が大きいといいます。そのあと、さらに、興味深いお話が飛び出しました。
「縄文時代から、21世紀の今日まで、カゴの編み方の技法は、ほとんど変っていない」というのです。なんということでしょう。
ここで、佐々木さんは、声を強めて言われます。
「歴史の中には、変るものと変らないものがあるのではないか」
政治や組織は、歴史の中でどんどん変っていくけれども、たとえば、暮らしのレベルでは、
ちっとも変らずに、脈々と続いていくものもあるというのです。
ここで、今年のお月見縄文祭のシンポジウムで岡田康博さんの言われたことを思い出します。
「縄文は、暮らしの遺跡がほとんどです。ところが、そのあと弥生時代や古墳時代と時代が下るにつれ、権力者の建物や寺社のような宗教遺跡に関心が集中していきます。」
なるほど、縄文時代は、日本列島の中で、暮らしにスポットをあてた珍しい時代とも言えるわけです。
こんなふうにも、考えられます。
歴史の流れは、権力者や政治組織のダイナミックな変化にとかく目を奪われがちですが、
一方で、途切れることなく続く人々の歴史があるのです。
「縄文に関心を持つ」「縄文から日本の歴史を考える」ということは、このように歴史を重層的にとらえるということなのかもしれません。
佐々木さんの示された「変らないカゴの編み方の歴史」は、「歴史の中で、変るものと変らないもの」を見極めることの大切さをあらためて教えてくれるようです。