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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第52回 縄文人はチーズを食べたか? 2015年12月16日

岡山県で牧場を経営している吉田全作さんとこんな話をした。
Y「縄文人はチーズを食べなかったのかなー」
K「ウシやヤギの骨は出土していないから乳はなかった」
Y「ブータンやアフリカでは野生動物からも乳をしぼってますよ」
K「それならばシカぐらいかなー、でも・・・」

意表をつかれた発言だった。私は稲作農民の末裔なので、動物食品(とくに獣類)に関しては、吉田さんのような狩猟・牧畜の民とは世界観がまったく異なっていたのである。
吉田さんは北大探検部(?)の出身、本格的なチーズ作りを志しヨーロッパで修行したあと1984年に岡山県で牧場を開いた。(その思想と仕事ぶりはNHKの特集にも登場している)。カチョカバロ、 モッツアレラ、リコッタなどの製品は全国の有名レストランをはじめヒッパリダコの状態で、ネットで買おうとするとなかなか順番が来ないほどだ。最近は息子さんが後継者に育ったので、チーズのルーツを訪ねてブータンに何度も行っていると聞いた。そこで『季刊民族学』(みんぱく友の会、千里文化財団)への寄稿を依頼に行ったのである。

会話は続く:
Y「ローマの創設者はオオカミの乳で育った、オオカミ少年の話は世界中にあります」
K「母乳ですね。往年の名俳優 池部良さんはハルマヘラ島から復員したあと栄養失調になり、腸チフスにかかった。そのとき人の乳で命をつないだとエッセイに書いてます。」
Y「哺乳類はみんな乳を出す。加工すればチーズやバターになる。最近はクジラの乳のチーズを作れないだろうかと秘かに考えてるんです。乳は水中に放射されるらしいので、塩水に混ざる前に採る方法はないかと・・・」
K「シロナガスよりマッコウの方が良い・・・など好みが出たりして。ところで、奈良公園には野性だけど人に馴れたシカがいっぱいいますね。乳搾りは可能だろうか」
Y「やってみたいですね。子シカをつれていけばよってくる」

こうして、チーズ作りの夢は無限に広がっていった。横にいた人は、マンガみたいだと吹き出したのだけど私たちは真剣だった。

歴史的にみて日本人と乳製品の関係は薄かった。しかし、日本にも10世紀(平安時代中期)までは乳製品を食する伝統があったことが『延喜式』に書かれている。チーズの一種である「蘇(そ)」の生産がほぼ全国にみられ、作り方、量、納税の季節までこと細かに記されている。底辺の広さがわかるのだが、13世紀(鎌倉時代)からは乳製品の記録がほとんどなくなる。

ところで、縄文時代は動物食が今より大きな位置を占めていたことは確実である。乳製品を利用していたかどうかは、縄文人になって、もう一度考え直す必要がある。狭い固定概念にしばられず、思考の羽根を広げることで豊かな考古学の世界を楽しめるだろう。

*NHK 『プロフェッショナルー仕事の流儀』 2013.10.18放送
池部良 1993『酒あるいは人』平凡社
吉田全作2010『チーズの力 ーフェルミエ 吉田牧場の四季』ワニブックス

吉田牧場で飼育されるブラウンスイス種(画像提供:吉田全作さん)

吉田牧場で飼育されるブラウンスイス種(画像提供:吉田全作さん)

手毬くらいの大きさのナチュラルチーズ「カチョカバロ」。 (画像提供:吉田全作さん)

手毬くらいの大きさのナチュラルチーズ「カチョカバロ」。(画像提供:吉田全作さん)

奈良・若草山の鹿

奈良・若草山の鹿

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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